武蔵村山 レトロなトンネル群 「軽便鉄道」の線路跡地 今は自転車道

2020年11月29日 06時59分

(2)赤堀 かつての第2隧道。現在は赤堀トンネル

 武蔵村山市の北部。市立歴史民俗資料館近くの都道沿いに、「横田トンネル自転車道」と記されたレトロな外観のトンネルがある。東西に延びるトンネルの中は薄暗く、肝試しができそうな雰囲気も漂う。先に進むと同じようなトンネルが複数あると聞き、地元の歴史に詳しい同資料館元学芸員の高橋健樹(けんじ)さん(67)の案内で、自転車を走らせた。
 「トンネルは全部で六カ所あって、通れるのは四カ所。その先は閉鎖されているよ。地上は自転車道だけれど、地下に多摩川から貯水池へ水を運ぶ導水管が通っていて、今も使われている」。横田トンネルの入り口で高橋さんは切り出した。

(1)横田 服部記者(右)に横田トンネルについて説明する武蔵村山市立歴史民俗資料館の元学芸員の高橋健樹さん

 トンネル群は西から順に「横田トンネル」「赤堀トンネル」「御岳(みたけ)トンネル」「赤坂トンネル」と地名由来の名前が付いているが、閉鎖された五、六番目の名前はない。かつてはそれぞれ「第1隧道(ずいどう)」から「第6隧道」まで番号で呼ばれていたという。高橋さんは「昭和初期に鉄道のトンネルとして造られたんだ」と答えを教えてくれた。

早咲きの桜が咲く赤堀トンネルの入り口

 都内の市で唯一、鉄道が通っていない武蔵村山市だが、大正中期から昭和初期に資材運搬用の「軽便(けいべん)鉄道」が走っていた。村山貯水池(通称・多摩湖)と山口貯水池(同・狭山湖)の建設、戦時中の貯水池の堤防かさ上げで羽村市の多摩川から砂利などを運び、工事に合わせて敷設と廃線を繰り返した。トンネル群は、昭和初期の狭山湖の建設時に造られた。武蔵村山市内の線路跡地は一九七七〜八一年度、全長約四キロの野山北公園自転車道として整備された。

昭和初期の撮影とみられる第1隧道(現横田トンネル)西入り口での記念写(武蔵村山市立歴史民俗資料館提供)

 「内壁の段差は、コンクリートを流し、木製の型枠を外した跡。当時の技術を考えると、苦労がしのばれる」。高橋さんはそう言って十センチ幅の段差が並ぶ壁に触れた。トンネル内部は高さ、幅とも約二百七十センチ。厚さ約三十センチのコンクリートで固められている。老朽化のため、金属や樹脂で補強した部分もある。
 横田トンネルから御岳トンネルまで、自転車道沿いに住宅が立ち並ぶ。途中の赤堀トンネルを出て振り返ると、斜面の早咲きの桜が花を付けていた。周辺は谷戸(やと)と呼ばれる小さな谷が連続する地形が特徴で、山を貫いたトンネルは廃線後、集落を行き来する近道になったという。

(3)御岳 御岳トンネルは山から染み出た水でコンクリートが溶け、壁の砂利が見える

 御岳トンネルを抜けると、赤や黄色に染まった雑木林に景色は一変。出口のコンクリートはこけむしていた。トンネルの天井から水が滴り、染み出た水で壁の表面が溶けた部分も。トンネルにこだまする自分の声が、静けさを意識させた。赤坂トンネルの先で自転車道は終点となった。

(5)第5 かつての第5隧道は封鎖され通行不可

 「この先に線路の砂利がそのまま残っている」と高橋さん。砂利を踏みしめ少し歩くと、閉鎖された第5隧道が現れた。看板の「進入禁止」の赤い文字が物々しい雰囲気を醸し出す。「昭和の中頃までは、トンネルを抜けて貯水池に釣りに通ったという人もいるんだよ。おおらかな時代だったんだね」と高橋さんは笑った。
 軽便鉄道の施設の一部が残っていると聞き、横田トンネルから反対方向の西へ向かった。左手の雑木林にコンクリートの遺構が見えてきた。引き込み線があった「残堀(ざんぼり)砕石場」の土台という。約十年ぶりに自転車道の全体を走った高橋さんは「以前と変わらず、地域の歴史を感じる。トンネルを文化財に指定して保全できるといいんだけどね」と話した。
 自転車道は自転車か徒歩で無料で利用できる。トンネル四カ所は十〜三月は午前七時〜午後五時、四〜九月は午前七時〜午後六時に通行可能。防犯対策で夜間は入り口のシャッターが閉まる。
文・服部展和 写真・戸田泰雅
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