没後50年 三島由紀夫を読む 文芸評論家・田中美代子さんに聞く

2020年11月30日 07時16分

死の直前の時期に東京都内の自宅で本紙記者の取材に応じる三島由紀夫=1970年撮影

 世界的な名声を得ていた作家三島由紀夫(一九二五〜七〇年)が四十五歳で割腹自殺してから、十一月二十五日で五十年となった。今もその行動への批判はある一方、作品は三島の死後に生まれた若手作家にも影響を与えている。三島から「真のリズール(読書人)」と呼ばれ作品解説を任された文芸評論家、田中美代子さん(84)=写真=が読む「作家三島」とは−。 (増田恵美子)
 「当時、三島の右翼的活動へのバッシングは大変なものでしたが、今はなくなってきたと思います。三島のことは解決していませんが、今はただ、素晴らしい、熟読玩味すべき物語が人々の前にある。読み続けられているのならば、うれしいことです」。田中さんは穏やかに語る。
 三島より十一歳年下の田中さんは「文学少女」だった。「芥川龍之介も太宰治も自殺した。日本の文学を純粋に追求すると自殺に到達してしまうのか」と危惧していた時、文壇に現れた三島の才能に心酔。働きながら「太宰のようにはならないでと応援歌のつもりで」三島由紀夫論を執筆した。文芸誌の賞には落選したが、三島の自宅に郵送。三島は翌一九六六年に『獣の戯れ』が文庫化された際、解説の筆者として、無名で二十九歳の田中さんを抜てきした。以来、田中さんは三島の指名を受け、その没後も『決定版 三島由紀夫全集』(新潮社)編集委員を務めた。

 新潮文庫(539円)

 三島には認められたが、そう、田中さんの願いはかなわなかった。
 「三島は太宰を嫌いながらも、同じ悲劇的な資質を持っていた。三島の最期は、『憂国』などの小説と確かにつながっていました」
 田中さんは川端康成との関係にも注目する。「三島は自らも候補だったのに、川端に頼まれてノーベル文学賞の推薦文を書いた。受賞も祝った。三島からすれば、川端こそ『美しい日本』の象徴。なのに、三島の晩年の『日本の文化』を守るための行動に、川端は同調しなかった。三島は失望したでしょう」
 川端もまた、三島の死から二年後に自ら命を絶った。
 田中さんの三島との接点は五年間。会うことはなかった。
 「三島さんからの手紙には『お目にかかる日をたのしみに』とあって、いつでも会えると思っていました。だから、劇場でお見かけしても声はかけなかった」。三島の死後、編集者から、三島は田中さんと会う方針を撤回したのだと聞いた。
 「想像ですが、自決の決意後は、それを感づきそうな人には会いたくなかったのでは。遺作『豊饒(ほうじょう)の海』で、(中心人物の)本多繁邦が出家した聡子に会いたくとも『会うなり聡子が本多の地獄を看破(みやぶ)ることは確実』と書いていたように」
 田中さんが考える三島文学の魅力は、定評ある文章や構成、古今東西の文化への知識、実はサービス精神豊かなエンタメ(娯楽)性。そして「タブーなく書きながらも、厳しいモラルがあるところ。弓のように引き絞られたものがちゃんとある」。
 三島文学の未来を解説すると−。
 「古いものは時代遅れになりがちですが、そうはならないでしょう。かつて『禁色(きんじき)』は大ロマンなのに、題材(男色)で避けられているようで残念でしたが、今なら違うはず。三島文学はこれからもあり続けるでしょう、華麗かつ鬱然(うつぜん)と」

◆若手作家ら相次ぎ寄稿

 三島亡き後に生まれた五十歳未満の作家らも今年、三島作品に文章を寄せている。
 新潮社は、新潮文庫の新解説者に十一人の作家らを招き、そのうち四人は五十歳未満。『金閣寺』で文学に目覚めたという平野啓一郎さんは『サド侯爵夫人・わが友ヒットラー』、中村文則さんは『仮面の告白』、津村記久子さんは『真夏の死』、森井良さんは『禁色』を担当した。
 同世代の高山羽根子さんらは、文芸誌に三島作品にちなむ小説を発表した。
 三島の死の二年前に生まれたミュージシャンの小沢健二さんは、『三島由紀夫レター教室』(ちくま文庫)の帯にエッセーを書き下ろした。

◆記者の一冊

 新潮文庫(693〜880円)

 記者にとって印象的な1冊は『豊饒の海』(全4巻)です。本多を目撃者とした輪廻転生(りんねてんしょう)の物語。豪華絢爛(けんらん)に美しいながらも緻密な日本語にうっとりしつつ、巧みながらも不可思議な舞台を満喫し、最後は迷路に置き去りにされる−。三島が自らの人生の筋書き通り、自決の日に完成させた遺作です。

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