<ふくしまの10年・追われた土地の記憶>(6)避難先転々 体調崩し

2020年12月1日 06時39分

末永定子さんの夫、勇男さんは避難先を転々とする中で亡くなった=大玉村で

 浪江町津島地区の開拓の様子をもっと知りたいと思った。つてをたどり、末永定子さん(87)=大玉村=から話を聞くことができた。
 津島地区には、満州(現中国東北部)から引き揚げてきた人たちの開拓団のほかに、山を移動して炭焼きをして暮らしていた人たちで作った開拓団もあった。定子さんの夫、勇男さんの両親はその開拓団の一員として山林に入植。一九五三年に勇男さんと結婚した定子さんも、ともに開墾作業に当たることになった。
 「あそこは便利悪かったさな。昔はけもの道だったから。ソバだのアワだの作ったんだー。モロコシとか粉にして練って、それ揚げて。モロコシ団子。おいしかったな。食べられるものは何でも作った」
 勇男さんは田植えが終わると出稼ぎに行き、定子さんが三人の子育てをしながら田畑の仕事を担った時期もあった。酪農も手掛けた。「そのうちだんなと息子は墓石屋さんに勤めるようになった。牛を売って自分たちで石材業を始めることにした。失敗したら夜逃げすっぺな、と家族で話して。そしたら成功したの」
 八四年には家を建てた。木はヒノキを使い、石材も上等のものをよりすぐった。にぎやかなことが好きだった勇男さんの趣味でミラーボールを付けた部屋もあったという。
 二〇一一年三月の東京電力福島第一原発事故後、避難先を転々とするうち、勇男さんは体調を崩し、翌一二年に亡くなった。「(避難先の二本松市の)岳温泉で横でげーげー洗面器持ってきてやっていて汗出るわ出るわ。いろいろ先のことを考えたんだべな」。震災関連死と認定された。
 帰還困難区域にある津島の家は、放射線量が高いため解体申請もできないという。「崩れていくのを見てるしかないんだ」
◇ご意見はfukushima10@tokyo-np.co.jpへ

関連キーワード

PR情報

社会の新着

記事一覧