コロナ禍、心の距離は「密に」 新宿ゴールデン街で歴史的共闘 2つの商店街が看板統一

2020年12月2日 08時27分

取り付けられた「新宿ゴールデン街」の新しい看板

 小さな飲食店が路地にひしめき合う「新宿ゴールデン街」。実は南側は「新宿ゴールデン街商店街」、北側は「新宿三光商店街」と二つに分かれていることをご存じだろうか。かつては対立もあったというが、近年は親交が深まり、1日に初めて、三光商店街の看板に「新宿ゴールデン街」の名称が入った。結束を強め、コロナ禍を共に乗り越えようとしている。
「これまでゴールデン街と名乗ることに戸惑いもあったが、看板表記が統一された。両組合の心の距離は、密になっている」
 新宿三光商店街振興組合理事長の石川雄也さん(46)は感慨深く話した。「あかるい花園一番街」と記された看板に一日、「新宿ゴールデン街」の名称が加わった。ほかの五カ所の看板も、四日までに同様にリニューアルされる。

取り外される旧看板

新宿ゴールデン街の名称が全国的に有名になった一九七〇年代以降に、三光商店街も含めて「ゴールデン街」と一般には総称されるようになった。
 「風通しは悪かったね」と振り返るのは、新宿ゴールデン街商店街振興組合理事長の外波山(とばやま)文明さん(73)。この街で約四十年前からバーを経営する。外波山さんによると、両商店街ではかつて、客を取り合いもめることもあったという。

新しい看板について語る新宿ゴールデン街商店街振興組合の外波山文明理事長(右)と新宿三光商店街振興組合の石川雄也理事長=いずれも新宿区で

 風向きが変わったのは二〇〇〇年の借地借家法の一部改正。店舗が貸しやすくなり、若手経営者が増加。過去の因縁はなくなり、現在は三光商店街主催の桜まつり、ゴールデン街商店街主催の納涼祭を一帯で催し合うようになった。一六年にまねき通りで火災があってからは、二つの商店街と、ゴールデン街商店街の地主が加盟する花園街商業協同組合などが協議会を立ち上げ、防災面での協力関係を強めてきた。
そんな中、三光商店街が看板を新しくすることになり、新宿ゴールデン街と表記する案が浮上した。新しい看板をデザインしたのは、ゴールデン街の魅力発信を企画するアパレル会社「ビームス」(渋谷区)。華やいだ色をベースに、かつての看板に使われたフォントを復刻させた。
コロナの打撃は大きく、ほとんどの店が休業した緊急事態宣言中には、落書きや空き巣も相次いだ。両商店街とも五、六月は毎夜、周囲を見回ったという。客足の回復は今も見通せないが、真新しい看板の下で外波山さんは「ここは人と人の交差点。酒場文化を発信していく」、石川さんは「人々を迎える準備をし、この街を盛り上げたい」と思いを一つにする。

◆命名は「小銭を稼ぐ」

昭和に撮影された新宿ゴールデン街

 新宿ゴールデン街は、新宿区歌舞伎町一丁目一番地にある飲食店街。面積約六千六百平方メートルに低層の木造長屋が連なり、約三百軒の飲食店が密集する。
 一九四九年に連合国軍総司令部(GHQ)の露店撤廃令により、近くの闇市にあった店が、この一帯に越してきた。しばらくは非公認の風俗営業を行う青線地帯だったが、五七年の売春防止法の一部施行後はそうした店が廃業し、飲み屋が密集した。
 六七年には、花園街商業協同組合が現在のG1、2通り一帯を新宿ゴールデン街と名付けた。同組合で当時理事を務めていた柴田秀勝理事長(83)によると、名称には札束を稼ぐ銀座に対し、小銭を稼ぐ思いが込められた。ゴールデンとは金貨のことで硬貨を表す。柴田理事長は「かつて非公認の遊郭だったコンプレックスもあった。ゴールデン街と呼ばれ、みな誇りを持てた」と振り返る。
 七〇年代には文化人が多く集まり、サブカルチャーやアングラ芸術の発信地として知られた。二〇〇〇年代から若いオーナーを中心に新規出店が相次ぎ、コロナ前は欧米からの観光客にも人気だった。
 文・中村真暁/写真・沢田将人
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