旧陸軍の第二格納庫を模型で残す 千葉市の地域史研究家・市原さん

2020年12月3日 07時00分

実物の100分の1の大きさで再現された第二格納庫=千葉市立郷土博物館で

 地域に残る戦争の歴史を記録しようと、千葉市稲毛区の地域史研究家で一級建築士、市原徹さん(73)が、同区で解体が進んでいる旧日本陸軍「気球連隊」の第二格納庫の模型を手作りした。自ら実物を測量して図面を復元し、百分の一の大きさで再現。市立郷土博物館で展示されており、市原さんは「身近な場所にあった軍事施設、気球連隊の存在に関心を持ってもらえたら」と期待する。 (太田理英子)
 市などによると、明治末期以降、現在の同市中央区椿森や同稲毛区作草部、天台周辺の地域では、千葉連隊区司令部や飛行学校など多くの陸軍施設が整備された。市は「軍都」として発展したという。
 一九二七(昭和二)年には、気球連隊の前身「気球隊」が埼玉県から都賀村(現千葉市稲毛区作草部)に移転。二つの格納庫が建てられ、偵察や観測用の気球が収納されていた。
 二つの格納庫のうち、第二格納庫は市内で現存する数少ない陸軍施設の一つだった。戦後は民間企業が所有して倉庫として利用されてきたが、老朽化などのため売却、解体が決まった。
 市原さんは「当時、どのような技術でアーチ型の施設が建てられたのか知りたい」と、九月に解体前の第二格納庫を見学。自身が代表を務める「千葉市近現代を知る会」のメンバーの手も借り、メジャーを片手に測量を実施した。

自ら測量や図面作成も手掛けた市原徹さん=千葉市稲毛区で

 特に注目したのは、骨組みの構造。鉄骨のつなぎ目にひし形プレートをはめて角度を調整することで、緩やかなアーチができていた。同じ技術が、戦後も体育館などの建築に生かされたことが分かったという。
 当初は図面の記録が目的だったが、市原さんは「当時の最先端の技術が使われていたことに気付いた。伝えていくには立体で残す方がいい」と、模型を手掛けることを決めた。
 戦前の建築物をまとめた学術資料も参考に、一人で平面図や断面図など七枚の図面を作成。半円状にした厚紙の骨組みにケント紙を貼るなどして、十月末、幅三十八センチ、奥行き四十四センチ、高さ十八センチのミニチュア格納庫を完成させた。
 模型は現在、市立郷土博物館で開催中の企画展「軍都千葉と千葉空襲」(十三日まで、入場無料)で展示中。会場には、第一格納庫から気球を出す場面の写真など、気球連隊に関連する資料も並んでいる。
 技術史としても重要な価値があるとする市原さんらの要望を受け、市は実物の骨組みの一部を保存することを決めた。市原さんは「たまたま軍事活用されたが、戦後のものづくりの一端を担っていったことも知ってほしい」と話す。

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