<英国王室の舞台裏>(3)ヴィクトリア女王  夫死後40年喪服 欧州王室の母

2020年12月3日 07時11分

バーサ・ミュラー(ハインリッヒ・フォン・アンゲリの原作に基づく)「ヴィクトリア女王」1900年(原作:1899年)油彩/カンヴァスロンドン・ナショナル・ポートレートギャラリー蔵 (C)National Portrait Gallery, London

◆関東学院大・君塚直隆教授が解説

 世界に冠たる大英帝国。七つの海を支配し、太陽が沈むことのないといわれた帝国は、地球の陸地面積の五分の一を支配する広大なものであった。そこに君臨した英国最盛期の君主こそが、このヴィクトリア女王(在位一八三七~一九〇一年)である。
 十八歳で即位し、最愛の夫アルバートとの間に四男五女の子宝に恵まれたヴィクトリアは幸せの絶頂にあった。転機が訪れたのは一八六一年暮れのこと。同い年の夫が、突然この世を去ったのである。四十二歳という若さであった。以後およそ四十年間にわたって生きながらえた女王は、終生、黒い喪服を身につけた。この絵は、女王が八十歳の長寿を迎えた最晩年のものであるが、世界最強の帝国を治める君主はやはり喪服を着ている。
 夫の死後に、彼が設計に携わったスコットランドの城やワイト島(イングランド南部)の別邸に閉じこもった女王は、国民から「仕事をさぼっている」と非難されることになる。人一倍きまじめだった彼女は、毎日、政府から届けられる山のような書類のすべてに目を通し、決してさぼってはいなかった。やがて彼女は「国民の前に姿を見せること」も、君主にとっての大切な仕事のひとつであることに気がついた。
 一八七〇年代以降、英国はカナダやオーストラリア、アフリカやインドなど世界中に植民地を抱えるようになっていったが、その帝国の紐帯(ちゅうたい)となったのが女王陛下であった。さらに九人の子どもたちの婚姻を通じて、いつしかヴィクトリアはドイツ皇帝やロシア皇后の祖母となり、「ヨーロッパ王室の名付け親(ゴッドマザー)」と称されるようになった。
 この絵が描かれた翌年、二十世紀の幕が開けたばかりの一九〇一年一月に、女王は八十一歳で崩御する。ヨーロッパ中から王侯たちが駆けつけた葬儀は、夫アルバートの眠るウィンザー城のチャペルで営まれた。その棺(ひつぎ)をロンドンからウィンザーへと送り届ける葬列を見た日本人がいた。のちの明治の文豪である夏目漱石。ロンドンに留学していた漱石は、この女王の死とともに大英帝国がたそがれ時を迎えていたことを目撃したのかもしれない。
 それからわずか十五年足らずでヨーロッパは第一次世界大戦へと突入する。大戦の別名は「いとこたちの戦争」。衝突したのはヴィクトリアの孫同士であった。
 (君塚直隆=関東学院大学国際文化学部教授)
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