明治憲法史 坂野(ばんの)潤治著

2020年12月6日 07時00分

◆明治デモクラシーの可能性
[評]瀧井一博(国際日本文化研究センター教授)


 坂野潤治氏が亡くなった。巨星墜(お)つ、である。
 一九七一年に出された氏の『明治憲法体制の確立』は、まさに明治憲法史および政治史のあり方を変えた。明治憲法(大日本帝国憲法)といえば、昭和の軍国主義の台頭を帰結した悪(あ)しき憲法と見なされてきたが、坂野氏は明治憲法の定める予算議決過程や当時の政府の経済政策から、予算案をめぐって政府と議会(衆議院)とが妥協せざるを得ない政治構造が形成されたことを読み解き、明治憲法のもとでの日本における議会制民主主義の定着と伸展を明らかとした。今日の政治史は、この坂野氏の認識を前提として議論されていると言って過言でない。
 本書は坂野氏の遺作である。日本近現代史の全般にわたり健筆をふるった氏の最後の著書が明治憲法史であることは、粛然たる思いを禁じ得ない。氏は明治憲法に流れ込み、脈々と生き続けた明治のデモクラシー運動を掘り起こした。それは国家権力VS民衆という単純な二項対立史観の産物ではなく、藩閥政府と自由党や立憲改進党など民党との共同のプロジェクトであった。
 そのような明治のデモクラシーの可能性を重視する著者は、三七年の日中全面戦争から四五年の敗戦までの期間は明治憲法の時代ではなく、それが機能しなくなった時代とし(それが故に本書の、いや著者の研究関心からは除外される)、「平和と民主主義の戦後政治を象徴する日本国憲法は、いわば八年間の無憲法状態の後を継いだのであり、『明治憲法』に取って代わったのではない」と喝破する。日本国憲法は明治憲法の否定のうえにではなく、その延長線上に捉えられるのである。著者は、日本国憲法よりも、「時には“明治憲法の時代”の方が優れていたと感じることさえある」とさえ述べる。
 奇(く)しくも今年は、日本の議会制成立百三十周年にあたる。だが、それが話題に上ることは稀(まれ)である。明治憲法の時代と日本国憲法の時代とを連続して把握すべしとの坂野氏の問いかけは、まだまだ荒野に叫ぶ預言者の声である。
(ちくま新書・902円)
1937年生まれ。東京大名誉教授。日本近代政治史。2020年10月死去。

◆もう1冊

大石眞著『日本憲法史』(講談社学術文庫)

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