<笑う神 拾う神>河野通夫 デン助に似てきた

2019年12月18日 02時00分

芸人たちのサインなどが壁に書かれた「捕鯨舩」店内でビートたけしの歌「浅草キッド」の歌詞にも出てくる煮込みを仕込む河野通夫

 ビートたけしが無名時代に通った店「捕鯨舩(ほげいせん)」の名物オヤジとして、浅草を紹介する多くの番組に顔を出すたびにカメラに向かってこう叫ぶ。
 「バカヤロー! 俺が浅草だぁ!」
 河野通夫(こうのみちお)。現在、七十三歳。
 名古屋から上京し、昭和四十(一九六五)年に十九歳で喜劇役者の大宮敏充に弟子入り。当時の大宮は“デン助”という人物に扮(ふん)した下町人情喜劇が浅草松竹演芸場からテレビ中継され、全国的な人気を誇っていた。やがて河野はデン助の息子の義夫役に定着するが、若手中心の芝居の配役を巡って師匠と衝突し、破門となる。
 渋谷のストリップ劇場での幕間(まくあい)コントでツッコミ芸を磨いた後に「青春コンビ」を結成。鼻の穴に入れたたばこを吸い、客席の背もたれの上をポンポンと飛び歩くネタがウケた。大宮の破門も解け、深夜番組のレギュラーを獲得したものの司会者とモメて降板。間もなく、芸人から足を洗い、花やしきの裏に店を開いた。
 平成十二(二〇〇〇)年に現在の場所に店を移転した直後に脳梗塞で倒れ、右半身に麻痺(まひ)が残ったが、たけしの愛した煮込みを仕込むことを毎日続けるうちに徐々に回復。五年後には台東区役所に掛け合って、店の前の通りの名を「浅草六区通り」に改称し、浅草に縁のある芸人・文人の写真と解説プレートを通りに並べた。
 口調は荒っぽいが、実は涙もろい人情家という人柄は、師匠の大宮が演じたデン助のキャラクターを地でいっているようにも見える。
 「最近、皆にデン助に似てきたって言われるんだよね」
 浅草から多くの若手芸人が世に出ることを誰よりも楽しみにしている。
 「有望な若手がたくさん育ってきたし、来年の浅草はますます盛り上がるんじゃないかな。彼らの活躍をこの目で見るまでは死んでも死にきれないね」  (西条昇=江戸川大学教授、お笑い評論家)

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