ジョン・レノン没後40年

2020年12月7日 07時44分
 一九八〇年十二月八日。ジョン・レノンは凶弾に倒れた。あれから四十年。代表曲「イマジン」は、愛と平和の歌として、今も世界中で歌い継がれている。ジョンはなぜ人をひきつけるのか。

<ジョン・レノン> 1940年、英リバプール生まれ。幼少期は主に伯母夫婦に育てられる。62年、ビートルズの一員としてデビュー。作詞・作曲やボーカル、ギターなどを担当。70年の事実上の解散後はソロ活動に入る。5年間の活動休止を経て80年11月にアルバムを発表したが、その翌月、米ニューヨークで男に銃撃されて死亡した。

◆物事の真理 見つめた ミュージシャン KUMIさん

(c)ビクターエンタテインメント

 意識してビートルズを聴くようになったのは、自分でも音楽を始めた大学生になってからです。聴き始めた時から、ジョン・レノンという人に強いシンパシーを感じていました。
 ジョンの作品は何曲もカバーしてライブで演奏しています。誰かの曲を演奏すると、その人が身近に感じられます。同じ世界を見たり、感じたりできる喜びがカバーにはあります。
 ジョンの楽曲の魅力は、理論を超えたところにあります。彼の中には目に見えないエネルギーがあって、彼もそれを知っていた。だから、理屈に縛られずそのエネルギーと同じものを作ればいいと考えていたのではないでしょうか。世の中の正解に沿った作品ではなく、自分の中にある揺るぎない答えを音にしているように感じます。
 ジョンがやっていたことは、音楽のための音楽ではありません。格好いい音楽を伝えようとはしていません。本気で世の中を良くしたいとか、気持ちよく暮らしたいとか思っていて、それを音楽で表現しています。だからこそ、彼のメッセージは音楽の世界にとどまらず、もっと広い世界に届くのだと思います。「イマジン」は、もう歌を超えていますよね。
 彼が今、もし生きていたとしたら、音楽とは別のことをしていたかもしれません。ダビンチのように、いろいろなことに対して才能や興味があった人ですから。物事の真理を見つめる。そういう人だったと思います。ジョンが音楽家でなくても、私は彼が好きでしょうね。
 ジョンと同じように、パートナーのオノ・ヨーコさんも見えないパワーを持った方です。「ジョン・レノン スーパー・ライブ」というイベントに初めて参加した二〇〇五年、記者会見で同席しました。会見が終わった後、ヨーコさんが「あなたたちにはシンパシーを感じるわ」と声を掛けてくださって。それ以来、とてもフレンドリーに接していただいています。
 四十年前のあの日、ジョンは亡くなるべくして亡くなったとは思えません。まだまだ役割はあったでしょうし、やることもあったはずです。今でも、ジョンは生きているんじゃないか、魂はまだ活動しているんじゃないかと感じることがあります。でも、彼がいる世界と、いない世界では、ずいぶん違うんだろうなと思いますね。 (聞き手・越智俊至)

<くみ> 1976年、東京都生まれ。2000年デビューの2人組ユニットLOVE PSYCHEDELICO(ラブ・サイケデリコ)のボーカル、ギター。来年1月11日、デビューアルバム完全再現ライブを配信。

◆曲の普遍性 現代にも ブロードキャスター ピーター・バラカンさん

 ジョンの曲といえば、毎年必ず聴くのは「ハッピー・クリスマス」です。わが家では、子どもたちがまだ家にいた頃、クリスマスの朝一番に流すのが恒例でした。今年はコロナ禍で、ロンドンに住む娘が帰ってくるのは難しいかもしれませんね。
 ジョンを知ったのは十一歳の時です。当時まだ保守的だった英国に斬新な空気を吹き込んだビートルズに衝撃を受けました。中でもジョンは、王室臨席で行われたチャリティーイベントの際、「安い席の方は拍手を、そのほかの席の方は宝石をじゃらじゃら鳴らしてください」と呼び掛けるなど生意気。その反骨精神に憧れました。自我が芽生える年頃にとって見本のような存在でしたね。
 思えば、ジョンは「正直」な人でした。心のうちをストレートに歌詞で表現している。彼の考えていることは誰にでも分かるけれど、その言葉遣いが面白い。まさにソングライターでした。
 ジョンは、オノ・ヨーコさんと出会い、ソロになってから社会的なメッセージを発信し始めます。自らの名声を平和活動に利用することに積極的でした。
 米国がベトナム戦争などで揺れていた一九七一年、「イマジン」が発表されます。曲調は穏やかですが、歌詞は非常に画期的です。人々は国家、宗教のために殺し合う。それらがない世界を想像してごらん。それはまさにジョンが考える「ピース」でした。「国家にアイデンティティーを求めることに意味はない」と、私に分かりやすく伝えてくれた曲です。
 普遍性を持つジョンの曲は、現代にも通じます。「パワー・トゥ・ザ・ピープル(人々に力を)」は、今に生きるメッセージです。民主主義社会で、政治家を選ぶのは一般市民です。ジョンは「権力に対抗して結束するというだけでなく、ピープルなんだから、自分たちのパワーを認識しようよ」と言っているのではないでしょうか。
 今、世界各所で政治的緊張が高まっています。米中対立は深刻だし、イエメン情勢などからも目が離せない。平和は遠ざかっているように映るかもしれません。しかし、ジョンが平和運動で挫折した人々に贈った言葉は勇気を与えます。「ラブ&ピースは失敗に終わった。だからなんだ!? やり直せばいいじゃないか」。とことんピースの人でした。 (聞き手・久我玲)

 1951年、ロンドン生まれ。74年に来日。NHK−FM「ウィークエンドサンシャイン」などに出演。『ロックの英詞を読む』など著書多数。近著に『テイキング・ストック』(駒草出版)。

◆平和への思い 率直に 音楽評論家・小川真一さん

 中学生の時、愛知県豊橋市の映画館で「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」を見ました。女の子がスクリーンに飛び込まないように縄が張ってあったのを覚えています。
 別の作品で「悲しみはぶっとばせ」を寝そべって演奏しているジョンの姿に影響されてギターを弾くようになりました。一九六六年の東京公演の様子を伝えるテレビ番組で一行が羽田空港から高速道路へ入る映像で「ミスター・ムーンライト」が流れる。あれも強烈でした。シャウトするジョンの突き抜けるような歌声はそれまで聞いたことがありませんでした。年齢は十歳ぐらいしか違わないはずなのに、とても大人に思えました。
 今のように簡単に情報が手に入らなかったので、映画を繰り返し見に行きました。どんな楽器を使っているのか、どんなふうにリズムを刻むのか、確かめたかったのです。
 ジョンのことを考える上で、一番重要な映画は彼が単独で出演した「ジョン・レノンの僕の戦争」(六七年製作、リチャード・レスター監督)だと思います。今でこそタイトルに「ジョン−」と入っていますが、彼は主役ではありません。なのに、人気絶頂時に長かった髪を短く切って、二カ月間の撮影に参加している。内容は、ブラックコメディーで、戦場にクリケット場を造るよう命じられたりする。ジョンが演じる兵士は腹を撃たれて死ぬのですが、「…僕は泥棒じゃない。物欲はゼロだ」という最後のせりふは意味深で、いかにもジョン自身が言いそうな言葉なのです。
 この反戦映画への出演は、ロンドンでオノ・ヨーコさんと出会う前です。平和への思いはジョン自身が常に心に抱いていたのでしょう。「ジョンの魂」(七〇年発表)の頃の「ラブ&ピース」や「パワー・トゥ・ザ・ピープル」というメッセージは当時はストレート過ぎると感じ、気恥ずかしさが先に立ちましたが、今思うと、率直な言葉だったからこそ時代を超えて多くの人に届いたのだと思います。
 七〇年といえば、先日亡くなった岡田裕介さん主演の映画「赤頭巾ちゃん気をつけて」が公開された年。青年期独特の不安や揺れを描いた作品が日本で受け入れられていた年に、ジョンがシンプルでとても強いメッセージを発信していた。この対比をとても興味深く感じています。 (聞き手・中山敬三)

<おがわ・しんいち> 1951年、愛知県生まれ。フォーク、ロックの再発盤の解説を多数手掛ける。共著に『日本のフォーク完全読本』。近著は『フォークソングが教えてくれた』(マイナビ新書)。

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