<ふくしまの10年・母と娘 自主避難という選択>(2)避難 正解だったのか

2020年12月9日 07時29分

避難生活について語った根本美佳さん(左)と娘の未結さん=2016年8月、愛知県豊川市で

 一人娘を連れた根本美佳さん(51)は二〇一一年三月十六日、愛知県豊川市にある妹の自宅に身を寄せた。間もなくすると、避難者向けに公営住宅の提供が始まると知り、入居希望を伝えるために豊川市の支所へ向かった。
 しかし応対した職員はつれなかった。当時の避難区域は福島第一原発の二十キロ圏で、自宅のある福島県いわき市はその外側だった。そのため「勝手に避難されても困るんですよね」と言われたという。
 避難者扱いされずに落ち込んだ上、「住まいが決まらないと新一年生になる娘の入学先も決まらないと思い、焦るばかりでした」。
 妹の夫が改めて相談すると、豊川市内の県営住宅に入居できたが、生活は落ち着かなかった。
 四月に入ると、同じくいわきから豊川に避難していた父に、娘の未結(みゆう)さんを預け、根本さんはいわきに戻った。生活費を稼ぐため、勤め先だった介護関連の会社で再び働きだした。しかし父は食事の準備や学校へ行く支度などに四苦八苦した。その様子を見かねて、根本さんは会社側の理解を取り付け、豊川でテレワークをすることにした。
 ただ、慣れない土地での暮らしは、孤立感を募らせることになった。
 豊川は原発事故の前に訪れたことがなく、知人がいなかった。父は根本さんと入れ替わりでいわきへ。「妹には妹の生活がある。家に行って面倒をかけてはいけないと思っていた」
 話し相手は娘の未結さんだけ。その娘も「学校で友だちができ、宿題を終えたら遊びに行ってしまっていた」。次第にいらだちが募り、「しつけか虐待か分からない強い口調で娘をしかっていました。怒っては落ち込み、避難したのが正解なのか、分からなくなることもありました」。
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