<ふくしまの10年・母と娘 自主避難という選択>(3)巡り合った恩人

2020年12月10日 07時46分

根本さん親子について振り返った滝川裕康さん(中)=名古屋市中区の愛知県被災者支援センターで

 避難先だった愛知県豊川市の県営住宅にこもるようになった根本美佳さん(51)。避難者同士の交流会の案内が送られてきたが、足を運ぶのはためらい続けた。
 福島県いわき市の自宅は福島第一原発の南五十キロ。「うちのように避難区域外から避難した場合、世間的にはなかなか避難者と見てもらえない。いわきは避難者を受け入れる側と考える人もいて、『何で避難したの』って言われたこともありました」
 避難者の会合に自主避難者が行っていいのか、行ったところで話が合うか。迷っていたが、二〇一一年の暮れに転機が訪れた。
 当時は事故の損害賠償が話題になりだした時期。根本さんは愛知県内で開かれた説明会に出席した。休憩時間になり、その場にいた他の避難者たちと何げなく会話すると、自宅から原発までの距離に差があっても「周りに知人がいない」「悩みを語れない」と感じる人々がいると知った。
 「似た境遇の人は他にもいる」。孤立感が和らぐ感覚を抱いたこの会合では、後々までの「恩人」とも出会った。愛知県被災者支援センターの事務局長、滝川裕康さん(72)だ。
 上から目線ではなく、じっくり話を聞いてくれる人。安心できる人。それが初対面の印象だった。彼の勧めで避難者同士の交流会に顔を出すと苦労を分かち合うことができ、「家族ぐるみでお付き合いできる方にも知り合えました」。
 根本さんはセンターが発行する情報誌の編集に携わり始め、交流会の運営も手伝いだした。勧めたのはやはり滝川さんだった。阪神大震災から被災者支援を続けていた滝川さんは「誰かの役に立つ側に回ると背筋が伸びる。頑張る姿は似た境遇の人の励みになる」と語り、「根本さんもそうでしたよ」と教えてくれた。
 ◇ご意見はfukushima10@tokyo-np.co.jpへ

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