今どうしてる?南スーダン選手団、五輪合宿で昨年11月来日 コロナで2度目の年越しへ 

2020年12月11日 08時08分
<いろいろありすぎた2020年 あれ、どうなった?>

前橋市の王山運動場でアップする南スーダンの陸上選手たち

 東京五輪・パラリンピックに向けて、昨年11月に来日した南スーダン選手団。大会の1年延期に伴い、前橋市での事前合宿は異例の長期滞在となっている。母国から遠く離れた地で間もなく迎える2度目の年越し。現状を追った。
 取材に訪れたのは十一月末。事前に市の担当者に連絡すると「午前中は語学学校にいますよ」とのこと。市役所から車で十分ほどのフジランゲージスクールへ。教室に入ると目に飛び込んできたのは壁に飾られた南スーダンと日本の国旗、五輪旗。その前で五輪・パラの陸上の四選手とコーチの計五人が真剣な表情でパソコンに向かっていた。

パソコンの使い方を教わる南スーダンの選手たち

 同校に通うのは週四日。当初は日本語だけを学んでいたが「国に帰ってからも役立つ技能を身に付けたい」と、今夏からパソコンの操作も教わる。この日の学習は表計算ソフトのエクセル。午前八時三十分から十時すぎまで没頭した。
 「前橋は本当に住みやすい。地元の人も優しくて、愛情にあふれている」。選手団のリーダー、グエム・アブラハム選手(21)が感謝する。五輪では男子1500メートルに出場予定。練習の合間には小中学校で異文化交流会に参加したり、正月には餅つきや書道を体験したり。来日前は日本の情報がなく「どんな気候で、どんな人々なのか不思議だった」。今は「いいところだと確信に変わった」と、すっかりなじんでいる。

今年の正月には書道にも挑戦し、「金」「笑顔」としたためた

 南スーダンについておさらいしておこう。二〇一一年にスーダンから独立した世界で最も新しい国は、民族対立による武力衝突を繰り返してきた。現在は停戦し、暫定政権が樹立されたが、内戦の犠牲者は推計約四十万人、人口の三分の一ほどの四百万人が住まいを追われたと言われている。
 一八年夏に国際協力機構(JICA)から相談を受けた前橋市。練習環境も整備されておらず、食事もままならない。そんな苦境を聞いて長期の受け入れを決定。滞在費はふるさと納税で募り、今年十一月末で二千七百万円が集まった。
 さて、午後はいよいよ練習だ。拠点の王山運動場ではボランティアが出迎えてくれた。そのうちの一人、通訳の松村文雄さん(71)は「選手たちは子どもや孫みたいな存在」と目を細める。青年海外協力隊でケニアやガーナに駐在した経験を持ち「周りに日本人がいなくて、さみしい思いをしたときに現地の人たちに助けられた」。今度は自分が力になる番だと志願した。

日本人コーチ(右)の指導を受ける選手たち

 練習では男子400メートル障害のアクーン・ジョセフ選手(18)、唯一の女子代表である100メートルのモリス・ルシア選手(19)、パラ陸上男子100メートルのクティヤン・マイケル選手(30)の短距離陣と、アブラハム選手の中距離に分かれる。指導するのは地元の陸上関係者。中距離担当の伊藤泰博さん(65)は「アブラハムは真摯(しんし)に取り組んでいる。結果につながれば」と話す。
 選手たちはこれまでまともな指導を受けてこず、いわば「原石」。ゆえに伸びしろは十分。コロナ禍による自粛期間中は、利根川の河川敷を走り込んだ。アブラハム選手は「延期された分、日本でいろいろな経験ができるし、トレーニングに励むことができる。それは大きなアドバンテージ」と前向きだ。伊藤さんらが願うのは正しい体の使い方や練習法を体感し、母国に技術と知識を持ち帰ってくれること。いずれは指導者となり、未来のオリンピアンを育ててほしいと願う。
 最後に、アブラハム選手に五輪で走る意義を尋ねた。八人きょうだいの長男で、父は他界し、故郷には家族が残る。一家の大黒柱は「五輪に出場すれば注目される。走ることで平和と愛を表現し、帰ったときにはその大切さを伝えたい」。
      ◇
 コロナ禍でこれまでの生活が一変した二〇二〇年も、残りあとわずか。ずっと気になっていたことから、「そういえば、あったな」と記憶の片隅にあるものまで、あんなことこんなことの今を随時紹介します。
 文・中川耕平/写真・隈崎稔樹、中川耕平
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