イエスの意味はイエス、それから… カロリン・エムケ著

2020年12月13日 07時00分

◆語られない性暴力、言葉に
[評]河原理子(ジャーナリスト)

 暴力を受けた人は、なぜ、それを言葉にできなくなるのか。語ることと伝えることを考察してきたエムケが、その問いを自分に向けた。性暴力を告発する#MeTooの動きが広がった世界で。
 本書はベルリンの劇場で二〇一八年に始めた朗読パフォーマンスをもとに書かれた。
 「私は、つぶやくように書く。小声で、他者に向けるより前に、まずは自分ひとりに向かって」。初めにそう告げて、彼女は、今となってはいたたまれない記憶をたどる。
 同僚がウエートレスにしていた醜悪なセクハラを、半分冗談にして受け流してしまったのはなぜか。
 友人が夫に殴られたとき、自分にはできることがもっとあったのではないか。
 エムケはふり返る。子どものころ「おしゃべり屋(子どもに話しかける男)に気をつけろ」と言われたが、どんな目にあうのかは語られなかった。ましてや、危険は外ではでなく身近にあるかもしれないことなど、誰も話さなかった。性暴力は言葉にされず、沈黙を破った被害者が白い目で見られた。
 「語ることの抑圧は、責任の所在をずらしてしまう」との指摘はその通りだ。
 そういう抑圧、習慣、烙印(らくいん)を押す力こそ、私たちが考えて、変えていかなければならないものだという。
 ただ彼女はとても慎重だ。同性愛者として「テリトリーの外側」で生きてきたからだろう。自負があるとともに、偏見に屈して#MeTooへの発言をためらったことも明かしている。
 だからこそ、道徳や決めつけを避けて、ないがしろにされてきた人の語りをより見える形にすることに自分の恵まれた立場を利用し、目を背けたいことにも想像の翼を広げて、より自由で公正な見方を身につけようとする。
 「私が書くときにいつも裸足(はだし)なのは、そのせいかもしれない。まるで、靴を履いていては、型どおりの考え方しかできないかのようだ」
 性と自己決定へのもう一つの語り。靴を脱いだ人の、痛みと自由さに満ちた本だ。
(浅井晶子訳、みすず書房・3080円)
1967年生まれ。ジャーナリスト。ベルリン在住。紛争地の報道を手がけてきた。

◆もう1冊

カロリン・エムケ著『なぜならそれは言葉にできるから 証言することと正義について』(みすず書房)浅井晶子訳。

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