【社説】週のはじめに考える 小さな声で「歓喜の歌」

2020年12月13日 06時42分
 師走ももう半ば。いつもの年末なら、あちこちから聞こえてくるあのメロディー、今年は耳にする機会がどうも少ないようです。
 ♪ミミファソ ソファミレ
 ♪ドドレミ ミーレレ…
 ベートーベンの交響曲第九番、第四楽章の「歓喜の歌」。その演奏会が新型コロナのため、各地で次々と中止されているからです。

◆苦境に直面した静響

 静岡交響楽団(静響)も、その一つです。一九八八年に静岡県で初のプロオーケストラとして生まれた、まだ若い楽団。しかし二〇一八年に名指揮者の高関健さんをミュージック・アドバイザーに迎え、急速に力をつけています。
 今年は県民の参加による合唱団との共演で、「第九」やハイドンの大曲「天地創造」など意欲的な公演を企画していました。しかしコロナ禍のせいで、延期や中止、曲の変更を余儀なくされました。
 結果、公演収入は減り、楽員の給与も減りました。「仕事を替えるか、真剣に検討した楽員もおりました」と明かすのは、専務理事の宮澤敏夫さん。楽団の経営も、銀行からの借り入れでしのぐという苦境に直面したのです。
 苦境といえば、ベートーベンの生涯も苦難続きでした。特にまだ二十代の若さで難聴が発覚し、音楽家にとっては生命線となる聴覚を後に失った悲劇は有名です。
 しかしベートーベンは屈しません。三十代に入ると、交響曲第五番「運命」をはじめ、<傑作の森>と呼ばれる名曲の数々を創作。ことに、「運命」で示した「苦悩を突き抜けて、歓喜に至る」という理念は、聴衆や後進の芸術家の心を強く打ちます。
 歓喜。ドイツ語の「フロイデ」ですね。「第九」の歌詞でも知られる、この言葉こそはベートーベンが苦難の中で終生追い求め続けた希望ではなかったでしょうか。

◆「第九」の理想と現実

 ですが楽聖の没後、この世界は「抱き合おう、何百万の人々よ」と歌われる「第九」の理想のようには進みません。多くの戦乱があり、二度の世界大戦が起き、母国ドイツは東西に分裂しました。
 歌は、音楽は、厳しい現実の前に無力であったのか? いいえ、決してそうではないと思います。
 英国のロック歌手デビッド・ボウイは一九八七年、ベルリン市を東西に隔てていた壁の前でコンサートを開きます。壁を越えて届く鮮烈な響きに魅了された東側の市民の「こんな音楽を聴きたい」という切望は、壁を崩しドイツが統合する一つの支えになりました。
 壁が崩れた八九年、米国の指揮者レナード・バーンスタインは各国の音楽家をベルリンに集め「第九」を指揮します。熱気に満ちたこの演奏で、巨匠は歌詞の「フロイデ」を「フライハイト=自由」と変えて歌わせたのでした。
 しかし今。その自由と権利が、香港をはじめ世界のあちこちで圧迫されています。権力者の専横も目に余る。日本も決して例外ではありません。感染症を防ぐため、人々の自由な行き来が制限されたことも状況を悪化させました。
 そんな時代、高らかに朗らかに「歓喜の歌」を合唱することに、ためらいを感じる人もいるでしょう。コロナで亡くなった人やその遺族を思えば、なおさらです。
 でもこんな時だからこそ、マスクの下で歌ってみませんか。小さな声ででも(♪フロイデ、フライハイト)と。歌は、音楽は、そして芸術や文化の営みは決して「不要不急」のお飾りなどではなく、私たちの人生の大切な支えになると信じて。
 一七七〇年十二月十六日の生まれとされるベートーベン。間もなく、生誕二百五十年の記念の日を迎えます。
 はるか遠い存在のようですが、私たちが感染症にも圧政にも屈しない強さを切望するとき、音楽は私たちの心に、勇気の明かりをともしてくれるかもしれません。
 先述の静響に話を戻しますと、中止や延期を経て演奏会を再開。今月二日には、県内の浜松フィルハーモニー管弦楽団との統合など思い切った運営方針を発表しました。さらに二十一日には、創設以来初の東京公演に挑みます。
 宮澤さんによると、再開された演奏会に来た聴衆は「なまの音楽が聞きたかった」と異口同音だったそうです。「涙ぐむ方もおられます。こんな方たちがおられるかぎり、演奏会は続けられ、きっと以前に戻れると信じています」
 伸び盛りの楽団を見舞った不運に負けず、二十六日には「第九」の代替公演も開く静響。合唱なしで演奏できる「運命」などの名曲を高関さんの指揮で奏でます。

◆非運を乗り越え飛躍を

 今年の厳しい経験が静響にとって、そして他の楽団や音楽家、さらには広く文化や芸術に携わる人たちや団体にとっても、将来への貴重な糧となるように祈ります。ちょうどベートーベンが非運を乗り越え、大きく飛躍したように。

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