上方落語中興の祖 桂米朝没後5年 大師匠の教え いつも胸に

2020年3月13日 02時00分

在りし日の桂米朝の高座=名古屋市中区で

 文化勲章を受章した人間国宝の落語家、桂米朝が89歳で死去してから19日で5年を迎える。戦後、廃れていた上方落語を再興させ、品格豊かで柔らかな語り口で全国に広めた。そんな大名人について、孫弟子の桂南光(68)は「知識欲も旺盛。いろいろな古典芸能に精通した上、高座でも秀でていて、指導者としてもすごい人だった」と改めて敬意を示す。 (藤浪繁雄)
 「研究者が噺家(はなしか)をやっていた感じですな」。米朝一門の桂枝雀(一九三九~九九年)に入門した南光による米朝観だ。
 米朝は戦時中、進学先の東京で師事した演芸研究家の正岡容(いるる)(一九〇四~五八年)から「上方噺を残せ」と説かれたという。当時、上方演芸界は落語家の数が激減していた。戦後、米朝は埋もれていた噺を掘り起こし、文献などに残すことに努めた。一方で、高座での実演も見事だった。「やる人もいないから自分で演じたのかもしれないが、これがとにかくうまいし、面白い」。伝統を踏まえつつ、噺を分かりやすく仕立て直す。笑いもしっかり分析し、変幻自在な芸でファンを増やした。
 再構築した大作「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」などは特に人気が高い。そんな米朝の仕事に同行した若き日、古典の一席「天狗(てんぐ)裁き」に触れた記憶をひもとき「落語を初めて聴いたような人が、ちょっとしたしぐさで大笑いしていた。引き込む様子はまるで催眠術のよう」と思い起こす。
 南光自身は今年、入門から五十年の節目。「落語家になるつもりもなかった」と振り返るが、師匠の枝雀や大師匠米朝の芸に触れ、修業に励み本格派として知られるようになった。稽古は厳しくても、弟子には「個性は伸ばせ」と言い続けた米朝の教えを継承。工夫を凝らし、仕立て直した噺でも人気を集めている。
 近年は、米の作家O・ヘンリーの短編小説「二十年後」を基にした人情噺で、歌舞伎や松竹新喜劇の演目でもある「上州土産百両首(じょうしゅうみやげひゃくりょうくび)」に挑んで成功。江戸落語の名作「火焔太鼓(かえんだいこ)」もアレンジした。「口の筋肉が自然と覚えるまで稽古するのは、しんどいけど楽しい」と道を切り開く手応えを語る。
 この五年、米朝の長男桂米団治、爆笑高座で人気の桂ざこば、そして南光らが一門を盛り立てる。一門会を定期的に続け、“上方落語中興の祖”が築いた看板を守る。
 南光は二十八日に東京・お江戸日本橋亭で「第五回日本橋南光亭」と銘打った独演会を予定、米朝の名演で知られる「はてなの茶碗(ちゃわん)」や、米朝の趣味の一つの俳句を紹介しながら、大師匠の人となりを語る。五月一日には新宿・紀伊国屋ホールで一門会、南光は「胴乱(どうらん)の幸助(こうすけ)」を披露する。
 ※今月二十~二十二日に大阪市内で開催予定だった「米朝まつり」は中止に決まった。

米朝について語る桂南光=大阪市北区で

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