<東日本大震災9年>次代へ脈々、新相馬節 名人・鈴木正夫の遺志継承

2020年3月6日 02時00分

昨年の「新相馬節全国大会」で歌う大内小児童。舞台後方の写真は初代鈴木正夫(実行委員会提供)=いずれも宮城県丸森町で

 福島県相馬地方で親しまれる民謡「新相馬節」は、民謡歌手の鈴木正夫(1900~61年)が世に広め、息子の二代目正夫が大切に歌い続けてきたが、二代目正夫は昨夏、81歳で急死してしまった。それでも、東日本大震災や昨秋の台風19号で被災した地域の財産ともいえる名曲を守ろうと、住民たちが二人の鈴木正夫の“遺志”を継承している。 (酒井健)
 「ハァ~」という伸びやかな節回しが響き渡る。二月十九日夜、福島県境に近い宮城県丸森町の大内まちづくりセンター。地元の民謡愛好会「秀清(しゅうせい)会」の九人が、「新相馬節」や「相馬流れ山」などを次々と歌い上げた。
 会主の小関敬義(こせきのりよし)(74)=福島県相馬市=は相馬民謡の第一人者で、「地元の節回しを学びたい」と言ってきた二代目鈴木正夫にも指導したほど。メンバーが歌い終えると「良くなってきたね」「楽しく歌えれば本物だ」などの声が飛ぶ。

「秀清会」の稽古で新相馬節を歌う広幡さん

 シニア層が目立つが、若い世代もいる。小学五年生の広幡篤希(ひろはたあつき)さん(11)は「普通の歌より、伸ばすところが独特。(歌うと)心がすっきりする」。ロックバンドのボーカルもしているという目黒竜也さん(38)は「遠くから聞こえてくるような、情景を感じるような響き」と魅力を語る。
 新相馬節は、福島県相馬市の民謡家で明治から昭和に活躍した堀内秀之進が地元の民謡「草刈り唄」に「石投(いしなげ)甚句」を組み合わせて作った曲。宮城県南端の丸森町大内地区で生まれた初代が、堀内に師事して磨き上げた。戦後まもなく大ヒットし、鈴木の力強い美声とともに全国に知られるようになった。
 二代目正夫は、丸森町にほど近い福島県新地町で生まれて暮らし、日本民謡協会の「名人位」の称号を持つ歌手として初代に続いて名をはせた。その二代目の悲願だった「新相馬節全国大会」が二〇一二年から毎年九月、大内地区で開かれている。大会の実行委員で秀清会の富倉守さん(68)は「手作りの大会だが毎年、全国から百人以上の歌い手が来てくれる」と手応えを語る。

新相馬節を歌う「秀清会」の会員ら

 全国大会の第一回は一一年に予定されていたが、東日本大震災の影響で延期された。山あいの大内には大きな被害はなかったが「ガソリンは不足し、電気や水道も止まり、道も通れない。やれる状況ではなかった」と富倉さん。小関は「相馬市では、津波で民謡の仲間も犠牲になった。二代目は避難所や仮設住宅の慰問に駆け回っていた」と当時を振り返る。
 翌一二年の第一回以降、大会では地元の大内小学校の三年生の児童らが練習した新相馬節の合唱を披露している。広幡さんは、その際に民謡に魅了されて入門した一人だ。「まだまだいろいろな民謡を教わる。将来は民謡歌手になりたい」と張り切っている。
 大会で毎年歌唱を披露し、会場準備も手伝っていたという二代目だったが昨年六月、くも膜下出血で亡くなった。十月には台風19号が丸森町を襲い、浸水被害などのため現在も百七十三世帯が応急仮設住宅で暮らしている。
 高齢化と人口減少に悩む小さな街には、被災の重圧がかかる。だが、大会会長の矢吹仁一郎さん(67)は「民謡は、地域の無形の財産。強い気持ちで乗り切りたい」。秀清会の菅野(かんの)憲一さん(70)も「(民謡)愛好者は全国と同じく減っているが、やれる限りのことはやる」と力を込める。今年の大会は九月二十日に開く予定だ。

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