「スペインかぜ 絶望的…」 第1次大戦時ドイツ人捕虜の日記 千葉の協会が翻訳

2020年12月15日 08時01分

習志野俘虜収容所内に設けられたバラック(宿舎)での生活の様子=千葉県習志野市教育委員会提供

 第一次大戦時、千葉県習志野市内に開設された「習志野俘虜(ふりょ)収容所」で過ごしたドイツ人兵士の日記を、同県日独協会が翻訳した。日記には約百年前の収容所の様子や捕虜たちの暮らしぶりが記され、当時はスペインかぜ(インフルエンザ)のパンデミック(世界的大流行)が収容所にも及び、「六百五十名の兵士が床についている。絶望的な状況が支配」などと書き留めていた。 (保母哲)
 日記の著者は、中国・青島で日本軍に敗れ、捕虜となった水兵のエーリッヒ・カウル。表題は「エーリッヒ・カウルの日記」で、縦二〇・三センチ、横一六・五センチ、厚さ一・九センチ。二〇一九年九月、習志野市文化財に指定されている。
 この日記ではカウルが一九一三年に海軍へ配属され、青島での戦闘、東京俘虜収容所に続く一九一五年九月から四年余の習志野俘虜収容所での生活、一九年十二月の帰国などの出来事を簡潔に記している。
 収容所では捕虜を人道的に扱うよう定めた国際法に基づき、敷地内で農作物を育てたり、音楽やスポーツを親しむことができた。一帯には日露戦争時、ロシア兵捕虜ら用の広大な収容所が設けられていた。
 一八年からのスペインかぜでは世界中で二千万〜四千万人が死亡し、国内でも三十八万人が亡くなったとされており、日記にはその際の収容所の様子が記述されている。また、収容所では「軽微な違反行為に、即座に拘留の罰を下す」「格別ひどいのは食事」などとの不満もつづられていた。
 翻訳作業をしたのは、県日独協会名誉会長の宗宮好和・千葉大名誉教授を中心とした同協会ボトルシップ研究会のメンバー。二班に分かれ、約一年がかりで翻訳したといい、宗宮さんは「約百年前、習志野にこんな捕虜がいた、こんなふうに暮らしていたということを知ってもらえれば」と話している。
 日記の翻訳文は、千葉県日独協会ホームページで読むことができる。

◆「エーリッヒ・カウルの日記」の抜粋

【収容所での生活】
・弦楽音楽会が行われた。ピアノ1台と自作も混じるバイオリン何本かの演奏。仲の良い戦友たちとコーヒーを飲みながら楽しいおしゃべりをした
・復活祭だ!。合唱の演奏会。故郷にいるかのように感じた
・トゥルネン(ドイツの体操)の練習。開催したのは当地で結成されたトゥルネン協会
【スペインかぜ】
・収容所でインフルエンザが大流行。およそ650名の兵士が床についている。今日は8名の重症患者が担架で病院に運ばれた。ここでは絶望的な状況が支配
・兵舎1棟がまるごと病院として整備された。そこへ130名の重症患者が収容された

◇習志野俘虜収容所の歩み

1904年 日露戦争始まる(05年まで)
  05年 収容所開設。ロシア兵ら最大で1万5000人が暮らす
  06年 収容所閉鎖
  14年 第1次大戦始まる(18年まで)
  15年 再び収容所を開設、ドイツ人捕虜らを収容。最大で約1000人に
  19年 降伏したドイツと連合国とがベルサイユ条約を締結
  20年 収容所に最後まで残っていた総督が1月、ドイツへ帰国し閉鎖

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