<ふくしまの10年・母と娘 自主避難という選択>(8)支える側の迷い

2020年12月17日 07時26分

保養に区切りを付けた経過を話す田中健太郎さん=愛知県豊橋市で

 二〇一七年夏、福島県いわき市に帰った根本美佳さん(51)と中学一年になった娘の未結(みゆう)さんは数カ月前までいた愛知県を訪れた。保養に参加するためだった。
 保養とは、被災地から離れて心身共にリフレッシュする活動のこと。各地の民間団体が夏休みなどに合わせて企画し、一週間ほど福島の親子を招いては山歩きや水遊び、温泉などを楽しむ機会を設けていた。
 福島で暮らす母親の中には「まだ放射能が不安」と思う人がいた。短期間であれ、放射能を気にせずにいられる保養は、心を和らげる上で重要な場とされた。
 根本さんが参加した保養は、愛知県新城市にある山間部の廃校で行われた。被災地のボランティア経験のある地元有志らが一二年から毎年計画し、例年二十人ほどが参加していた。
 しかしこの保養は一八年で終わってしまった。運営側の代表で自動車整備業の田中健太郎さん(43)は「一番は気持ちの問題でした。保養って向こうの生活を否定しかねない部分もあって」と明かした。福島は安心できない、だから保養を、と受け止められる懸念が長く付きまとってきたため、「僕らの活動は本当に必要かと長く悩んできた」。
 迷いは他にもあった。
 運営に携わった面々は仕事を抱えつつ、寄付集めや人手集めに奔走した。「『あと何年やれば保養を終えてもいい』と分かれば、そこに向けて頑張れるんだけど、『あと何年』の判断も付かなくて。終わりが見通せない中、続ける意欲を保つのが難しくなりました」
 例年参加する親子には申し訳ない思いが募った一方、彼らの言葉で救われる思いをした。「最後の保養の時、また来たいと言ってくれて。あれはうれしかったですよね。寂しさもありましたけど」。今も折に触れ、電話をくれるという。
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