求めたのはささやかな自由 リビアとシリア、待っていたのは果てしなき内戦<まぼろしの春③ アラブ民主化運動から10年>

2020年12月19日 05時50分
 2016年冬、リビアの首都トリポリ。ある夜、麻酔科医マジディ・ムハンマド(35)が病院のソファで仮眠していると、民兵の男2人に銃で腹をつつかれた。「腹と腕に銃創のある患者はどこだ」。答えられずにいると、男らは名簿から病室を見つけ、患者を撃ち殺して去った。「もうここに安全はない」。この夜、ムハンマドはリビアを離れる決意をした。

 10年前、チュニジアとエジプトの独裁政権を倒した民主化運動「アラブの春」は、両国に挟まれたリビアにもやってきた。デモは広がり、11年8月にカダフィ政権が崩壊。その後、統治や石油利権を巡って民兵や部族、イスラム過激派などが乱立し、内戦へとなだれ込んだ。
 今も東西勢力に分かれて対立は続き、肝心の統一政府の発足は見通しが立たない。治安と経済は完全に破壊され、生活は悪化する一方だ。ガソリン購入は12時間待ち、米も9倍近い値段に跳ね上がり、カダフィ政権ではあった食料援助も今はない。国民には達成しない民主化へのあきらめが漂う。この10年で、多くの人がリビアを脱出した。

カイロ市内のリビア大使館前で15日、窓口で申請書類などを提出するリビア人。内戦のためリビアを逃れる人は後を絶たない

 現在、カイロで暮らすムハンマドは「リビアの現状は大惨事だ。生活の不満を言うエジプト人がいるが、リビアに比べたらはるかにマシだと言いたい」。
 経済問題が引き金でもあったチュニジアやエジプトと違い、アラブの春以前のリビアの経済状況はむしろ良く、国民が求めていたのは「ささやかなことだった」と言う人もいる。
 内戦直前にカイロへ逃れた元商工会議所会頭サーレハ・アブクレイス(62)は「4年に1度の選挙とか、誰でも指導者になれるチャンスがほしいとか、そんな思いはあった」と振り返る。しかし、石油資源が豊かなリビアでは、ガソリンや電気、水はただ同然。治安も良く、「政治の話をしない限りは平穏に暮らせた。アラブの春は全てを破壊する津波で、土地や人々、安全などあらゆるものを流し去った」と嘆く。
 アラブの春から内戦に突入したシリアは、リビアと状況が似ている。経済は悪くなかったが、アサド政権下では政権批判は許されず、大統領と同じイスラム教アラウィ派が政府や軍の主要ポストを独占していた。
 公平な社会や言論の自由を求めてデモは広がったが、カイロに逃げてきたバシール・アハマド(39)は「誰でも『ノー』と言える社会とか、期待したのは今思えばささいなこと。全てを失うぐらいなら独裁政権の方がましだった」と言う。
 一方、カイロでシリア難民を支援するマルハム・アルカーン(32)は「人々は国外に来て初めて自由や民主主義に触れた。思ったことを気にせず話せる自由を知った今、シリアに戻ることはないだろう」と話す。
 シリア難民は国内外で1000万人を超え、国の礎である国民の流出は止まらない。泥沼の内戦は間もなく10年になろうとしている。 (敬称略、カイロで、蜘手美鶴、写真も)

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