異民族の共生は可能 東北のアイヌ語地名を取材し本に 筒井功さん(民俗研究者)

2020年12月19日 14時46分
 千葉県野田市の江戸川の土手を歩いた。冬の厚い雲が空を覆っていたが、上流のさらに遠くに筑波山が望めた。
 「『ノダ』という地名は、低湿地という意味の『ニタ』『ヌタ』から来ています。川沿いのこの辺りは昔から、雨が降るとすぐに水浸しになったのでしょう」。民俗研究者の筒井功さん(76)は地元の地理にも詳しい。
 定住農耕社会からはみ出した漂泊民の暮らしを知ろうと、土地の名前や人々の記憶の中に手掛かりを求めて各地を訪ね歩く「旅する研究者」だ。昨秋までの二年間のフィールドワークは、東北地方でのアイヌ語地名を巡る取材だった。
 東北の地名のいくつかが、アイヌ語に由来するらしいことは知られている。筒井さんは今回、アイヌ語と確実に言える地名を拾い、分布域をはっきりさせることに挑んだ。まず地図や地名辞典を見て、アイヌ語由来の「モヤ」「タッコ」「オサナイ」と読める語を含む地名を調べた。例えば「モヤ」は、アイヌ語で「聖なる山」を意味する「モイワ」がなまった言い方だ。
 地形や地物の特徴が、アイヌ語の意味に合致していることが一番重要。こじつけだと疑われないために、必ず訪れて確かめ、写真に撮った。車を運転して一日三百キロ、東北の海辺から山奥をめぐった。宿には泊まらず毎晩車中泊。カーナビに表示された「らしい地名」に気づき、現地に急行することもあった。
 秋田県八峰町の母谷(もや)山は、アイヌが信仰の対象とするにふさわしい小高い独立峰だ。岩手県岩泉町の長内(おさない)沢の下流は、「オサナイ」=「オサッナイ」(川尻が乾いた川)の語意の通り、伏流水となって水がなかった。同県一関市の旧大字「達古袋(たっこだい)」のある地点からは、宮城県境の栗駒山(一、六二六メートル)が遠望できた。「タッコ」=「タプコプ」(聖山の遥拝(ようはい)所)の意味と一致した。
 「フィールドワークは、こちらの見立て通りにいかないことが多いですが、今回ばかりはしてやったりの気分でした」と誇らしげ。こうして筒井さんは東北の三十七カ所の地名をアイヌ語由来と断定。奥羽山脈の西側は秋田・山形県境、同東側は宮城県北部をアイヌ語地名の南限と結論づけ、最新著『アイヌ語地名の南限を探る』(河出書房新社)で成果を発表した。
 高知市出身。実家の近くに「百笑(どめき)」という変わった名のバス停があり、子供心に興味がわいた。のちに、民俗学者・柳田国男の『地名の研究』を読むと、各地にあるその地名は、川の流れが“どよめく”音を形容したものとあり、「なるほど」とひざを打った。柳田らの影響で民俗学研究を志し、共同通信の記者を経て文筆の道に。箕(み)と呼ばれる農具の細工や川漁をなりわいとした「サンカ」と呼ばれる非定住民の研究で、二〇一三年度の「旅の文化賞」を受賞した。
 なぜ東北各地にアイヌ語地名が残ったのだろうか。北海道の地名はアイヌ語に由来している。北海道への和人の進出は明治維新後に大規模で組織的になった。「武力と経済力を背景にした、強圧的なものだった」。統治上の必要から、アイヌの呼び方を記録して地名を名付けた。
 「本土のアイヌは、北上する和人に追い立てられて北へ北へと退いた。その際にアイヌ語地名が和人に受け継がれた」とする説明が一般的だが、筒井さんの考えは違う。「逃げる際に、自分たちが付けた地名を教えるだろうか。和人の進出後も、両者が共存した時代が長く続いたのではないか」。アイヌは狩猟・採集民族であり、農耕が主体の和人とは生活圏を住み分けることができた。交易で和人との交流が深まると婚姻も増え、次第に同化していったが、アイヌが付けた地名は使い続けられ、そのまま残ったのではないか。
 アイヌ文化の発信を担う国の新施設「民族共生象徴空間」(ウポポイ)が北海道にオープンしたばかり。アイヌの文化や歴史への理解が深まると期待されている。「かつて異民族同士がうまくやっていた時代があったことを知ってもらえれば」。東北のアイヌ語地名は“共生”が可能だということを後世に伝えているのかもしれない。 (栗原淳)

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