嵐人気のヒ・ミ・ツ ちょっとアカデミックに

2020年12月20日 07時24分
 男性アイドルグループ「嵐」が年内で活動休止する。デビューから二十一年、今や五人をテレビで見ない日はない。そんなトップスターに上り詰めた希代のグループの軌跡を振り返り、国民的ともいえる人気の秘密に、ちょっとアカデミックに迫った。 (小原健太)
 「二十一年。すごいことだなと思いました。皆が嵐を今日まで育ててくれました」。グループのCDデビュー記念日でもある十一月三日、初の配信ライブを終え、リーダーの大野智はファンに感謝を伝えた。言葉には「冬の時代」を知る嵐だからこその重みがある。
 嵐がジャニーズ事務所の一グループとしてデビューしたのは一九九九年。鳴り物入りでデビューしたが、なぜか人気は伸びず、ライブも空席が目立つなど、グループのあり方を模索する日々が続いた。転機は二〇〇五年、松本潤が出演したTBS系ドラマ「花より男子(だんご)」。高視聴率に支えられ、嵐の認知度が一気に高まった。続編の主題歌「Love so sweet」は大ヒットし、グループの代表曲になった。
 同じ男性アイドルグループとしてSMAPと比較される。SMAPも木村拓哉のドラマ出演をきっかけにブレークしたが、法政大社会学部の稲増龍夫教授によると、その後の動きは正反対という。「SMAPは、メンバー個々が個性を生かしてグループの外に活躍の場を広げたイメージ。対して嵐は、グループの中に収まっていった」
 〇六年にクリント・イーストウッド監督が手掛けた映画「硫黄島からの手紙」に二宮和也が出演した際のエピソードが象徴的だ。会見で俳優としてのコメントを求める海外記者に対して、二宮は「僕は俳優ではない。五人でグループをやっている日本のアイドルだ」と繰り返した。
 アイドル文化に詳しい社会学者の太田省一は嵐の「決まったセンターのいない、フラットな集団の関係性」に着目する。〇〇年以降、格差が取り沙汰されるようになり、「和や絆が貴重なものとして考えられるようになった」と指摘。嵐のグループ(=仲間)を大切にするスタンスが幅広い層の支持につながったとみている。稲増は「大野君がリーダーなのが良かった」。歌やダンスに秀でつつも、口数の少ない大野を他の四人が立てる構図となり、一体感が高まったとみる。その中で、個人の活動も広がっていった。
 楽曲面では“国民的ヒットソング”がなかった。SMAPには三百万枚を突破した「世界に一つだけの花」などがあるが、嵐のシングルは今年七月に出た「カイト」が初めてのミリオンヒット。太田は「楽曲以上に、アーティスト自身を支持する時代になった」と話す。ドラマやバラエティーへとアイドルの活動の幅が広がったことで接触点が多様化。楽曲の認知度がアイドルの支持を測る絶対的指標ではなくなった。
 稲増は「爆発的なヒットソングがなかったことで、かえって息が長くなった」と推察。メガヒット曲は、後続曲と比較される。「やっぱりあの歌が一番」という世間の印象は、同時に「絶頂期」の存在を意識させることにもなる。「嵐は『まだ上がある。発展途上だ』と思わせ続けられた」
 一九年一月、人気が高まり続ける中での活動休止発表。メンバーの脱退申し入れに「この五人でなければ嵐ではない」と全員で決断した。その後も全五十公演で計二百三十七万五千人を動員した二十周年のライブツアーなど走り続けてきた嵐に節目の時が迫る。
 ファンと交流できるライブを何よりも大切にしてきた五人。今年は並々ならぬ思いがあったはずだが、十一月のライブはコロナ禍で無観客配信に。終了後、松本は悔しさをにじませた。「やりきった感じがしない。いつになるか分からないけれど、機会を待ちたい」。また五人にそろって会える日を、ファンは待ち望んでいる。 (文中敬称略)

◆今はただありがとう ファン10年男性記者

 ファンクラブ歴10年の私(33)が嵐を意識しだしたのは、東京大に進み周囲の優秀さに戸惑っていた頃だった。テレビ番組で“わちゃわちゃ”(仲良く)している彼らはまぶしく見えた。2014年に記者になった後も、休みを利用して札幌や福岡などでのライブに参戦した。
 嵐は透明なステージがアリーナの観客の頭上を通過していく「ムービングステージ」を「世界初導入」するなど、ファンを楽しませる工夫を重ねてきた。中でも15年以降に定番化した「ファンのペンライトの遠隔個別制御」には驚かされた。ライトが各自の座席と連動する仕組みを導入することで客席全体を「電光掲示板化」。ファンとつくるライブを印象づけた。
 活動休止に際し約2年の準備期間を設けたように、嵐はファンファーストを貫いてきた。私は学生時代、相葉雅紀主演の映画にエキストラ参加したことがある。厳冬の早朝撮影を乗り切ったエキストラの控え所に相葉は足を運び、「寒い中、早朝から長時間にわたりありがとうございました」と声をかけてくれた。
 こんな私が新聞社に入ったのは「嵐に会えるかも」という思いから。それが巡り巡って、昨秋から芸能記者をしている。恐らく、人生で彼らに影響を受けた人は他にも多いだろう。11月の配信ライブ後、桜井翔は「想像もしていなかった景色にたどり着くことができた。皆さんが背中を強く支え続けてくれたから」と語っていた。こちらこそ言いたい。ここまで連れてきてくれて、ありがとう。

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