<世田谷一家殺害事件> 「きょうも犯人は捕まらなかった」 宮沢みきおさんの母・節子さん 無念つづり続けた20年 

2020年12月21日 05時50分
 東京都世田谷区の会社員宮沢みきおさん=当時(44)=一家4人が殺害された事件は未解決のまま、30日で20年となる。母節子さん(89)は「何も変わらないまま、時が過ぎてしまった」と心境を明かす。事件後、犯人逮捕の願いを年に1冊ずつ記し続けた日記も、20冊目を終えようとしている。(天田優里)

宮沢みきおさん一家と夫(右上)の遺影が飾られた部屋で、思い出を語る母節子さん=さいたま市で

 さいたま市の自宅には、古びた数十冊のスケジュール帳が木箱に敷き詰められている。事件の前から日々の出来事をしたためてきたが、事件後は「『きょうも犯人は捕まらなかった』って書いたりする」。4人の思い出が詰まったアルバムも100冊ほど保管しており、広げると机いっぱいになった。
 アルバムには、孫のにいなさん=当時(8)=と礼ちゃん=同(6)=が生まれた時からの写真が残る。共働きだった宮沢さん夫婦に代わり、節子さんは週2回、子守をした。居間に飾る遺品のおもちゃを見るたび、抱きついてきた2人のあどけない笑顔を思い出す。
 礼ちゃんは生きていれば今年、節子さんが宮沢さんを産んだ26歳。「礼も結婚してひ孫ができていたかも」。2人の成長が何よりの楽しみだったが、大人になった姿は想像できない。

容疑者逮捕の知らせを待ち、日付に鉛筆で斜線を引き続けているカレンダー

 事件当時の記憶はすっぽり抜け落ちている。岩手の実家に帰省中に一報を受けた。何が起きたか分からぬまま東京に向かったあの日から「なぜ4人は殺されたんだ」という思いを抱えて生きてきた。台所に飾るカレンダーの日付欄に、犯人が捕まらなかった印として斜線を入れるのが日課になった。
 警視庁から宮沢さん宅の鍵を返却されているが、一度も足を踏み入れていない。「中を見たら立ち上がれなくなってしまうから。4人がいないことを実感してしまい、気持ちがつぶれちゃう」。にぎやかで明るかった家が凄惨な現場になってしまったことを、受け入れたくない気持ちもある。
 来年、90歳になる自身の年齢も気掛かりだ。節子さんは宮沢さん以外に子どもがおらず、引き取った4人の遺品やアルバムを処分するかどうかも考え始めている。「元気なうちに自分で片付けた方がいいとは思うけれど、なかなかできなくてね」。思い出が詰まった宝物は、簡単に手放せない。

事件後は犯人逮捕の願いを記すようになった日記も20冊になった

 犯人逮捕の吉報をともに待った夫良行さん=享年(84)=はもう、この世にいない。平成から令和へと時代は変わったが、今も節子さんが日記につづる内容は変わらない。1日の終わりにまた、同じひと言を付け加える。
 「きょうも犯人は捕まらなかった」

 世田谷一家4人殺害事件 2000年12月31日、東京都世田谷区上祖師谷3の会社員宮沢みきおさん宅で、宮沢さんと妻泰子さん=当時(41)、長女にいなさん=同(8つ)、長男礼ちゃん=同(6つ)=が殺されているのが見つかった。警視庁成城署捜査本部は強盗殺人事件として捜査を続けている。犯行は前日深夜とみられ、現場から犯人の指紋やDNA型のほか、犯人が食べ残したアイスクリームのカップや脱ぎ捨てたトレーナーなど多くの遺留品が見つかった。犯人はA型で身長170センチ前後の比較的若い男とみられている。


◆30日で民事損害賠償請求権は失効

 遺族らは、今月30日に事件発生から20年になると、犯人に賠償を求めることができなくなる。民法の損害賠償請求権が消滅するためだ。仮に逮捕されても犯人に支払い能力がない場合が多く、犯罪被害者の遺族会は、民事上の償いや被害回復を十分に受けられる制度の確立を目指して活動している。
 宮沢さん一家の事件をはじめ全国20事件の遺族が参加する「宙の会」によると、民事訴訟の判決で損害賠償請求が認められても、加害者に支払い能力が無かったり、逃亡していて実効性が伴わなかったりなどの理由で、実際に賠償を受けることは困難だという。
 遺族の経済的な損失を少しでも救済しようと、会は昨年1月、国が一時的に賠償金支払いを肩代わりした後、加害者から回収する「代執行制度」を求めて法相に陳情書を提出した。
 殺人事件などの公訴時効は、会が世論に働き掛けた結果、2010年の刑事訴訟法改正で撤廃された。1996年の東京都葛飾区の上智大生殺害事件遺族の小林賢二会長(74)は「民事上の償いを求める制度は道半ば。刑事と民事の両輪が保たれてこそ、遺族のせめてもの救いになる」と実現に向け決意を語る。(奥村圭吾)

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