生きるため国境の川越えるエチオピア難民 終息見えぬ内戦、避難先スーダンでも困窮

2020年12月28日 00時43分
 エチオピア連邦政府軍と北部ティグレ州のティグレ人民解放戦線(TPLF)の紛争で、隣国スーダンに逃れるエチオピア人が後を絶たない。すでに約5万3000人が国境を越え、現在も1日300人前後のペースで増加。多くが徒歩で川を越えてスーダンにたどり着くが、避難先の難民キャンプでも食料や水が不足するなど過酷な状況が続く。家や財産などほぼ全てを失い、その身一つでスーダンに来た難民たち。今月23日と24日、越境現場や難民キャンプを訪れた。(スーダン東部ハムダイート、ラクバ難民キャンプで、蜘手美鶴、写真も)

◆国境沿い流れるタケイズ川越えて「みんなやってくる」

 エチオピアとスーダン国境沿いに流れる幅約20メートルのタケイズ川。人が渡るのを拒むように、緑を帯びた水がいきおいよく流れている。スーダン軍広報のモハンマド氏は「川の向こうがエチオピアだ。ここを渡ってみんなやってくる」と対岸を指さした。

12月23日、スーダン東部ハムダイートで、エチオピア難民が最後に渡るタケイズ川。右側がスーダン。

 紛争が始まった11月初旬以降、難民の7割がこの川を渡るルートでスーダンにたどり着いている。徒歩の他、ロバやトラクターで川近くまで来た後、最後に越えるのがこの川だ。エンジン付きの船を使う人もいるが、船代が払えない人は歩いて川を渡る。水量によって川幅は倍近くになることもあり、モハンマド氏によると、急流に流されたり、おぼれたりして命を落とす人も多いという。

12月23日、スーダン東部ハムダイートでタケイズ川を望む。左側がスーダン。

 スーダン側の川岸で洗濯をしていたゴイトゥーム・ウェルデさん(32)は12月初旬、両親ら家族10人でティグレ州西部ラウヤンから歩いて川を越えてきた。11月30日に町が兵士に襲われ、多くの人が銃やナタで殺された。「川を渡るのは恐ろしかった。でも地獄から逃れるためにはやるしかなかった」と振り返る。

12月23日、スーダン東部ハムダイートで、町が襲撃されたときの様子を振り返るウェルデさん(右)。背後には渡ってきたタケイズ川が流れる。

 多くが同じ理由で川を渡って来る。ムレル・ジジさん(24)がいたティグレ州西部マイカドラも同月9日夜に兵士に襲撃された。隣人は殺害され、自宅も襲われ、「もう町にはいられない」と家族らとすぐに脱出。歩いて国境を越え、夜中に川を渡った。医師を目指して大学で勉強中だったが、生きるために諦めた。

◆ティグレ州西部マイカドラ襲撃で600人殺される

 マイカドラの襲撃を巡っては、エチオピア人権委員会が「少なくとも600人が殺害された」と発表している。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは、住民らの証言から「TPLFの犯行とみられる」とするが、一方で「政府軍と民兵だった」との証言もあり判然としない。各地の襲撃も同様で、内戦の混乱に乗じ、戦争犯罪が横行しているとみられる。
 川を渡った難民はハムダイートで難民登録し、その後は「行き先」となる難民キャンプが決まるまで数日から数週間の仮住まいが続く。ただ、難民登録は終わりの見えない難民生活の始まりでしかない。人口数100人の町は現在、難民ら数千人であふれている。
 23日に同州西部から到着したばかりのベルザフ・ハゴスさん(27)は、登録を終えて移動の順番を待っている。政府と民兵に40日間拘束され、背中や尻を何度も殴られた。足には生々しい傷が残り、「私から情報を取るために殴ってきたが、絶対に話さなかった」。取材中、ハゴスさんの姿を見つけた難民の女性が駆け寄ってきた。ハゴスさんの無事を確認すると、そのまま強く抱きしめ、後は涙で言葉にならなかった。

◆トラックで5時間…白いテント並ぶ難民キャンプへ

 赤みを帯びた乾いた大地に、白いテントが無数に並んでいる。主要な移送先の一つラクバ難民キャンプは、ハムダイートから直線距離で約30キロ。しかし、悪路の回り道しかなく、難民らはトラックに揺られて約5時間かけて到着する。

12月24日、スーダン東部のラクバ難民キャンプで、給水所でタンクに水を入れる子どもたち。順番待ちのタンクが無数に置かれている。

 国連によると、キャンプには約2万人が滞在する。キャンプ内の「目抜き通り」には、簡易の店や露店がいくつか軒を並べ、人や車の往来も多く、一見すると活気にあふれた雰囲気だ。ただ、通りから一歩奥に入ると状況は一変する。

12月24日、スーダン東部のラクバ難民キャンプで、食料品を売る店。お金がない人は目の前に食べ物があっても手に入らない。

 「とにかく水がない。日中は暑くてテントに触ることもできない」。11月にマイカドラから家族で逃れて来たレテブハン・フィトゥイさん(44)は、テントの外の影に座り込んで疲れた表情を見せた。12月下旬でもスーダンでは日中は30度後半の日が続く。水は離れた供給場所まで取りに行くが、多くの人が列を作り慢性的に不足している。
 食料不足も深刻だ。国連からはトウモロコシの一種が配給されるが、粉にしないとパンを焼いて食べることもできない。粉にするには約15キロ先の町へ行かねばならず、難民たちの負担は大きい。スーダン東部は交通の便が非常に悪く、国連などが支援物資を届けるのも容易ではない。エブラハ・ハフトゥさん(40)は「金がある人は露店で食べ物を買える。ない人はテントで寝るだけだ」と嘆いた。

12月24日、スーダン東部のラクバ難民キャンプで、「水が足りない」と訴えるフィトゥイさん。テント内では4人が暮らす。

 新型コロナウイルスの感染も懸念されるが、マスクは十分に行き届かず、国連職員など以外はほぼマスクはしていない。衛生状態も悪く、トイレが十分ないため難民らは岩陰で用を足しているという。下痢の症状の人が多いが薬もない。携帯電話はつながらず、キャンプ付近の大きな岩山の頂上まで登り、電波を探している難民の姿が目立った。

◆クリスマス「今年は料理する食材もない」

12月24日、スーダン東部のラクバ難民キャンプで、「今年のクリスマスは料理する食材もない」と話すマッサラさん(右から2人目)。首には十字架が揺れる

 国連は、今後半年で難民が20万人に膨れ上がる可能性を指摘する。訪れた24日はクリスマス前日。首から十字架を下げたエンダハフティ・マッサラさん(44)は「いつもなら25日はヒツジを食べて祝うが、今年は料理する食材もない」とうつむいた。

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