<東京NEWS2020>(6)五輪延期、落胆より安堵 続くコロナ禍 来年も不安 

2020年12月29日 07時11分

IOCのバッハ会長と電話会談する安倍首相(当時、右から3人目)。小池知事(左手前から2人目)も同席した=3月24日、首相公邸で(内閣広報室提供)

 「東京五輪・パラリンピックは遅くとも二〇二一年の夏までに開催することで合意した」。三月二十四日、安倍晋三首相(当時)は、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長との電話会談後、記者団に語った。新型コロナウイルスの感染拡大により、史上初の五輪延期が明らかになった瞬間だった。
 「中止だけは避けられた」。都幹部の一人がこぼした言葉が印象的だった。都庁に広がった空気は「落胆」でなく「安堵(あんど)」。新型コロナ感染拡大という異常事態に、国も、都も、それだけ追い込まれていたのだ。
 世界保健機関(WHO)のパンデミック宣言。国際大会の相次ぐ中止。カナダのオリンピック委員会は、大会を予定通り開催する場合、選手団を派遣しない方針を発表していた。
 「中止はあり得ない。無観客もありえない」。小池百合子都知事はこう繰り返していた。開催への決意を強調しつつ、大会延期の可能性は否定しない。中止になるくらいなら延期に、との思いが透けた。
 「聖火到着が合図になった」。都幹部の一人は後に、延期決定の舞台裏をこう振り返った。聖火が日本に到着したのは三月二十日。二十六日には福島県から聖火リレーがスタートすることになっていた。
 聖火が日本にあれば「簡単には中止にできない」という計算と、リレーが一度スタートしたら「止める判断は難しい」という現実。その合間を縫うような二十四日の電話会談。「ぎりぎりのタイミングだった」
 代償は会場再確保や感染対策にかかる二千九百四十億円の追加経費だ。うち国や都による公金負担は千九百十億円。貴重な財源をコロナ対策に向けるべきだとの声は少なくない。
 一九九八年、当時十四歳だった私は、長野冬季五輪に夢中だった。テレビにかじりつき、記事を毎日スクラップした。それから二十二年。今度は取材側として迎える東京大会を楽しみにしていた。子どもたちにも同じように胸を躍らせて欲しいと願っていた。
 ただ現実は厳しい。感染者数は連日過去最多を更新し、収束の兆しが見えない。聖火リレーの仕切り直しのスタートは、もう三カ月後だ。カウントダウンが進むごとに「不安」ばかりが増していく。 (岡本太)

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