【動画あり】作家・加賀乙彦さんの父が撮った戦前の東京の映像、デジタルで鮮やかに蘇る

2021年1月1日 06時00分

◆加賀乙彦さん「あっ、僕だ」

東京・西大久保の自宅の庭で母の米(よね)さんと戯れる1歳の加賀乙彦さん。1930年撮影

 「よく映ってますね。こんなこと(フィルムの修復とデジタル化)ができんだねえ」。昨年11月、見るのは10代のころ以来という加賀さんは、よみがえった映像に顔をほころばせた。そこには1936(昭和11)年秋に米ニューヨークで、小木さんが撮影したカラー映像が映し出されていた。
 映像には小木さん本人の姿も。「この歩き方は父です」「盛んにたばこをのんでいる」「あっ、これは僕だ」「大久保のうちの庭です。懐かしいね」。撮られた映像を見ながら、おぼろげだった戦前の記憶を次々とよみがえらせた。

見つかった映像を手に父・小木孝次さんの思い出を語る加賀さん

 8巻の映像には、失われた戦前の東京や湘南、海外の街や人々が瞬間凍結されたように残されていた。
 31(同6)年のモノクロ映像には、車から撮影した新宿駅前の光景が写っていた。自宅が面していた改正道路(現明治通り)から新宿通りに入り、駅前へと向かう。右手に現れる大きな建物は「ほてい屋百貨店」。後に隣に進出した伊勢丹に35(同10)年に買収され、一体の建物になったため、このころしか見られない姿だ。
 さらに進むと左手に三越百貨店、奥には後の新宿アルタ(現新宿ダイビル)の場所に大規模食品店の「二幸」のビルが見える。まだ戦時色は薄く、多くの人や車が通りを行き交ってにぎやかな新宿だったが、一帯は45(同20)年5月の山手空襲で焼け野原になった。

新宿駅前。左の建物は三越百貨店。正面奥が、スタジオアルタのビル(現新宿ダイビル)の場所にあった「二幸」(食品店)。1931年撮影

新宿三丁目西交差点から駅方向を望む。左手にあった三越はもうない=12月25日、東京・新宿で

 37年撮影の映像には、銀座や新宿のネオンサインも映し出されていた。今はなき劇場「ムーラン・ルージュ新宿座」のネオンも。対米英開戦で灯火管制が敷かれる前の「夜も明るい首都」の光景だ。
 東京宝塚劇場の舞台は同年3月の星組公演がモノクロで、5月の月組公演がカラーで写っていた。星組の演目「になひ文」には、次郎冠者かじゃ役で園井恵子(1913~45年)の姿も。後に劇団「桜隊」の看板女優となり、広島で被爆して亡くなった悲劇の女優だ。同じく「世界の唄」のドイツの場面では、前年秋に日独防共協定が締結された影響か、ナチスの青少年組織ヒトラー・ユーゲントが登場。かぎ十字の旗が舞っていた。

1937(昭和12)年6月の早慶戦の映像には、鮮やかな着物姿の女性の姿があった

 37年6月の早慶戦のスタジアムには、美しい着物姿の女性たちも。戦意高揚の名目で「ぜいたくは敵だ!」などとファッションが攻撃される前の、自由で華やかな色合いが分かる。
 街や海辺は人々でにぎわい、映像に登場する人々の多くはカメラに笑顔を向ける。戦況の悪化でそれらが失われるのは、わずか数年の後のことだった。

関連キーワード

PR情報

社会の新着

記事一覧