【動画あり】作家・加賀乙彦さんの父が撮った戦前の東京の映像、デジタルで鮮やかに蘇る

2021年1月1日 06時00分

◆小説「永遠の都」に描かれた男性

 映像を撮影した小木孝次さんは1902(明治35)年に元加賀藩士の息子として生まれた。作家の室生犀星むろうさいせい(1889~1962年)とは祖父と祖母が姉弟で「はとこ」にあたる。後に「味の素」となるうま味成分を発見した池田菊苗きくなえ(1864~1936年)や帝国学士院長などを歴任した桜井錠二(1858~1939年)は叔父。加賀さんによると、妻米さんと結婚する際の仲人は、犬養毅内閣で書記官長を務め、帝国主義者として知られていた森つとむ(1883~1932年)だった。

小木孝次さんは安田生命(現明治安田生命)に在職中、何度も海外を旅した=加賀乙彦さん提供

 戦前は東京・西大久保でよねさん、加賀さんら4男と暮らし、安田生命(現明治安田生命)に勤めた。1936(昭和11)年に欧米を視察旅行した際のパスポートによると、当時は東京支店次長。
 写真や映像の撮影が趣味で、最初は16ミリ、後に8ミリカメラで家族や東京の街の風景、旅先での様子を撮影した。写真は自ら自宅の暗室で現像していた。
 〈そのころは大型の十六ミリ撮影機をうんうん重そうに持ち歩いていた。撮った映画を編集するため、編集機を手で回しながらフィルムを切ったりつないだりする父は、いかにも真剣で何か大事な仕事を仕上げるような目付きをしていた〉
 加賀さんの小説「永遠の都」に描かれた男性は、まさに小木さんだった。
 海外への渡航は34(同9)年の旧満州(現中国東北部)が最初。16ミリカメラを持参し、溥儀ふぎ(1906~67年)が皇帝になって2カ月後の満州帝国の様子を克明にとらえた。アヘン小売所の店先や満州航空機から首都新京(現長春)を写した空撮もある。

旧満州への旅では、満州航空の機上からの空撮も。1934年撮影

 36年の欧米視察旅行では船で中国・大連に渡り、シベリア鉄道などを乗り継いでドイツ入り。ベルリン五輪を観戦後、オーストリア、イタリア、スイス、英国、フランス各国を訪問。さらに米ニューヨークに渡り、米国各地を訪れた。その間ずっと撮影を続け、貴重な映像を残した。

米国ニューヨーク市のコニー・アイランドで。1936年撮影

 〈三十分ほどの一巻ができると、父は映写会を開いた〉〈人前で話すのが不得意な父も、映画の説明だけは得々としてやってのけ、それに編集の苦心を付け加えるのを忘れなかった〉(「永遠の都」)
 小木さんは戦後、安田生命の役員を経て退職。かつて加賀藩前田家の上屋敷があり、父が暮らしていた今の東京大に近い東京・本郷の地で余生を過ごした。
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