<東日本大震災から10年 つながるつなげる 今できること10年>横浜・海をつくる会 希望、覚悟「消えないよ」

2021年1月1日 07時25分

「海をつくる会」の海岸清掃でメンバーと語り合う坂本昭夫さん=横浜市金沢区で

 二〇一一年三月十一日の東日本大震災から今年は十年を迎える。あの日から多くの人が「何か協力したい」と願い、被災者と交流する姿を本紙は紹介してきた。あれから十年。コロナ禍で人とのつながりが途切れがちな今、つながり続ける人々を再び訪ねた。
 数年前の夏。宮城県石巻市の雄勝湾の海底で、伊勢原市の陶芸家坂尾寛子さん(50)は円盤のようなものを見つけた。手に取り裏返すと、それは壁時計。針は三時前を指していた。「陸はだんだん片付いてきても、海の中には時が止まったままのものが眠っていた」
 坂尾さんは被災地で海底清掃に取り組む市民団体「海をつくる会」(横浜市)のメンバー。入会のきっかけは一二年夏、地元商店街による支援活動で石巻市を訪れたこと。津波被害で柱だけが残る家もあり「人の生活が一瞬で持っていかれた悲惨な跡を見た」。その時、近くで海底清掃していたメンバーと知り合った。
 家電、タイヤ、毛布…。海底で見つかったがれきの引き上げを手伝ううち「役に立ちたい」という思いが湧き上がった。ダイビングライセンスを持っていた坂尾さんはその日に入会を決め、一三年から一緒に潜った。その後も毎年七月に訪ねるうち現地の知り合いが増え、関係が深まっていく。「助けに行っているのに励まされている。海も街も人もずっと見ていきたい」
 リーダーの坂本昭夫事務局長(63)によると、会と被災地とのつながりは震災の十年ほど前にさかのぼる。
 横浜港でワカメを育てる体験講座を通じ、岩手県釜石市の漁港関係者と知り合った。子連れで訪れて家に泊めてもらい、夏祭りに参加して酌み交わし、親戚のような存在になっていた。だから、津波のニュース映像を見て思った。
 「俺らが行かないと」
 一一年八月、メンバー二十人ほどで潜り、一時間で三トンのがれきを回収。海底の惨状を目の当たりにし、同十一月に再訪。翌年以降も八月に続けてきた。
 石巻市で清掃を始めたのは一二年から。坂本さんが商社に勤務していた時の知人の縁だった。さらに、現地の漁協関係者から「海底にあったアマモ(海草)が津波で消失してしまった」と聞き、翌年から復活のための十年プロジェクトを立ち上げた。海底に苗を移植し、毎月のように足を運んで生育状況を確認。海草や海藻が減って生態系が劣化する磯焼けを防ごうと、養分となるアミノ酸を混ぜたコンクリートを沈めるなど生育環境にも気を配る。
 雄勝湾の復興に取り組む「雄勝湾漁協を支援する会」(仙台市)の阿部房子代表(57)は「離れた所にいる坂本さんが十年がかりでアマモの再生をやろうと言ってくれた時、私たちも腹が決まった」と感謝をあふれさせる。「時間がかかっても自分たちの手できれいな海を取り戻す。その希望と覚悟をもらった気がした」
 昨年は新型コロナウイルスの影響で海底清掃は二カ所とも中止。雄勝湾のアマモの観察も昨年三月が最後になっている。
 「このまま消えちゃうの?」。昨年秋、阿部さんからのメールにあった言葉が坂本さんの胸にどーんと響いた。「消えないよ。また行くよ」。今春からアマモの活動を再開する予定だ。 (杉戸祐子)

がれきの回収を続ける「海をつくる会」のメンバーら=2017年8月、岩手県釜石市で(同会提供)

◆海藻の縁を大事に
岩手県釜石市の漁師佐々木公夫さん(56)

 震災前からワカメやコンブのつながりで、家族ぐるみの付き合いをしていた。その縁が生きているんだと思う。がれきの撤去を頼むなんて考えてもいなかったが、「行くから」と言ってくれてありがたくて。自分たちも船を出したり、陸でがれきを一緒に引き上げたり、少しでも力になりたくて一緒に作業した。津波で流された漁具を海底で見つけて、持ち主に戻してもらったこともあった。来てもらって、確かに海の中もきれいになってきた。これからも大事に付き合っていきたい。

◆海外メディアに橋渡し
防災林再生ボランティア・横浜の鈴木昭さん

 「漁船やトラックがひっくり返っていた場所に緑が戻った。よくここまで来た」。津波で流された宮城県名取市の海岸防災林の再生を目指す「オイスカ」(東京都杉並区)のボランティア鈴木昭さん(77)=横浜市=は感慨を語る。
 活動の知名度を上げようと、海外メディアの日本取材を支援する団体に勤めていた経歴を生かし、日本に駐在する特派員向けの取材ツアーを運営。震災の惨状と復興に向けた取り組みは世界中で報道された。
 全長5キロ、100ヘクタールの沿岸に36万本のクロマツなどを植える計画は昨年10月に達成した。しかし、再生は植えて終わり、ではない。雑草をとり水をやり、数十年がかりで防風や防砂の機能を果たす林に育つ。「人々の関心を長くつなぎとめる橋渡しの役割を続けていきたい」 (杉戸祐子)

◆歌を通じて寄り添う
復興ライブ出演続ける・厚木の山田尚史さん

 「愛情と感謝の気持ちで恩返ししたい」。厚木市のシンガー・ソングライター山田尚史さん(37)が被災地での復興ライブに出演し続ける理由だ。
 2007年、3人組音楽ユニットの一員として岩手県でデビューした。だが理想と現実のギャップに悩み、精神的に追い込まれ心を病み脱退。震災後、「歌手として本格的に歩み始めた東北に元気を届けたい」と自宅から歌のライブ配信をしたが、足は運べなかった。「岩手での生活を思い出すと精神的につらくなり、体が動かなかった」
 東北の地を再び訪れたのは17年夏。デビュー10年を機に踏ん切りをつけ、かつてのメンバーに連絡して岩手県久慈市でライブを開いた。当時のファンが大勢集まり「また、東北との絆を深めたい」と誓った。歌を通じ、いつまでも被災地に寄り添い続けていくつもりだ。 (曽田晋太郎)

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