<東日本大震災10年 忘れられた被災地>(2)崩落 両岸の懸け橋、連綿と

2021年1月3日 07時51分

東日本大震災後に開通した新鹿行大橋。左岸が鉾田市、右岸が行方市=いずれも本社ヘリ「おおづる」から

 二〇一一年三月十一日、鹿行地域も最大震度6強の揺れに襲われた。行方市山田の主婦成田美恵子さん(68)は、保育園に預けていた孫=当時(4つ)=を迎えに車で自宅を出た。道はあちこちで陥没している。焦る気持ちを抑えながらハンドルを握った。鉾田市方面に目を向けると、北浦に架かる橋の中央部が消えていた。
 山田地区と鉾田市札を東西に結ぶ全長四百メートルの「鹿行大橋」。橋脚を支える一部のくいが破断し、橋が五十八メートルにわたって崩落した。通行中だった鉾田市の男性が車ごと転落し、不幸にも命を落とした。「人が亡くなったと聞いて本当に残念で…」。成田さんは、つい昨日のことのように声を落とす。
 霞ケ浦(西浦)や北浦は古くから水上交通が盛んだった。とりわけ札地区は近世から潮来や佐原などに米や炭、ネギなどを運ぶ物流の集積地だった。対岸からも多くの人が札地区を訪れた。「地続き」となった現在でも札地区にはスーパーやガソリンスタンド、コンビニが立ち並び、行方市の人たちの生活ニーズにも応えてきた。

震災の影響で中央部が崩落した旧鹿行大橋

 鹿行大橋の崩落は連綿と続く両岸の交流を分断した。鹿嶋市の工場で働く行方市の男性は、車の通勤ルートを南の北浦大橋に変更した。札地区のスーパーを利用していた行方市の主婦は、北に十キロほど離れた鉾田市中心部まで買い物に出掛けた。両岸の行き来は途絶え、札地区の商店街の活気は失われた。
 「一日でも早く橋を造ってもらわなければと思って」。札地区で理容店を営む倉川陽好(あきよし)さん(74)は振り返る。一九六八年に完成した鹿行大橋は老朽化が激しく、県は東日本大震災前の〇二年度から架け替え工事を進めていた。新橋の開通予定は一三年三月。「開通を前倒しできないか」。気持ちがはやった。
 旧橋は、幅員四メートルで大型車両は擦れ違いができず、三カ所に待避所が設けられていた。重さ十四トンの規制もあり、大型トレーラーの通行は不可能だった。一方、新橋は幅一一・五メートルに片側一車線と歩道が整備され、通行可能な重量も二十五トンと十分な仕様に設計されていた。
 商工会の役員でもあった倉川さんは、地域の住民とともに県側と交渉し、工事の前倒しを懇願した。県が予算の重点配分や工法を見直した結果、当初目標よりも一年早い一二年四月の利用開始にこぎ着けた。
 札地区であった開通式には、橋本昌知事(当時)らが出席。崩落事故で亡くなった男性の死を悼みつつ、震災復興や地域の発展を願った。
 二代目の鹿行大橋は今も地域の大動脈だ。倉川さんは「昔からどんなことがあっても地域で支え合ってきた。あの震災の時だってそうさ」と目を細めた。 (出来田敬司)

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