<つなぐ思い 震災10年>(3)つらい体験、未来に生かす 松戸の交流サロン・黄色いハンカチ

2021年1月4日 07時36分

防災井戸端会議で意見交換する避難者や市民=松戸市東平賀で

 津波や東京電力福島第一原発事故による震災避難者と市民をつなぐ交流サロン「黄色いハンカチ」(松戸市東平賀)。語らいと憩いの場は、つらい震災体験を地域防災に生かす情報発信の場へと活動の幅を広げた。サロンを運営する東日本大震災復興支援松戸・東北交流プロジェクトの関係者は「避難者らは将来への不安を抱える中、勇気を持って、できることを前向きに取り組んでいる」と話す。
 毎月一回開かれる「防災井戸端会議」は、サロンで開催されている講座や教室の中で、最も活気ある交流会だ。二〇二〇年十二月の会議も、コロナ禍で入場制限をする中、避難者や市民ら十五人ほどが参加し意見交換した。起こり得る未曽有の大災害に市民はどう対処すべきか。避難所生活での問題点やトラブルが起きたときの解決法は−。体験に裏打ちされた意見はどれも説得力がある。
 防災井戸端会議は一九年、門馬正純(まさのり)さん(69)が運営団体の共同代表に就任してから本格的に始まった。門馬さんは震災当時、福島県南相馬市で小学校校長を務めており、翌一二年の定年退職を機に流山市に避難。松戸市の学校評議員などを務め、震災体験の語り部として活動してきた。
 一昨年の大型台風では千葉県内も甚大な被害が出た。これからの防災にはどんな視点が必要か。門馬さんが熱く語る。
 「マンションの電源施設は二階か三階に設置する。地下にあると水害時に電気が使えなくなる恐れがある。一人暮らしの高齢者についても、誰が誰を助けに行くのか決めておく。自治組織の中で、災害時の救助態勢をつくっておくことが必要だ…」
 災害時は地域と学校の連携はより重要となる。門馬さんの提案で松戸市内の学校体育館で町内会による避難所開設訓練も行われた。「自助、共助、公助が一体となることで被害が最小限に抑えられ、早期の復旧・復興につながる」
 黄色いハンカチは一三年一月、震災直後から支援活動を続けてきたNPO法人「子どもっとまつど」(渡辺洋子理事長)など市内で活動する三団体が、「避難者同士の語らいの場がほしい」「故郷の情報が知りたい」などの声に応え、松戸駅西口のテナントビルに開設した。松戸市内には福島など東北三県から約三百人が自主避難していた。
 門馬さんとともに共同代表に就任した佐藤利雄さん(73)も南相馬市から避難した。サロン設立当初からの利用者だ。福島の新聞を読むために通い始めたといい、「家に閉じこもるより出掛ける方が楽しかった。いろんな情報も得られた」と振り返る。サロンの中心人物となった佐藤さんは「自主避難を語る会」の代表となり、福島県から関東各地に散った避難者とのつなぎ役となった。
 黄色いハンカチは一八年五月にJR北小金駅近くの現在地に移転した。副代表として運営に当たる渡辺さんは「移転は地域に根差した永続的な活動をするため」と説明する。納涼祭の開催や地元のフリーマーケットに出店し認知度アップに努めてきた。コロナ禍の二〇年は、地元の子ども食堂を支援しようと、フードパントリーの会場を提供し、避難者らは食料品の配布活動を手伝った。
 国から受けられる支援も限度があり、一番の課題は安定した維持費の確保だという。渡辺さんは「まだ(財源となる)自主事業ができていない」と自立へ知恵を絞る。震災から十年、黄色いハンカチの活動も新たなステージに入った。 (牧田幸夫)

◆データで見る大震災(3) 震災・原発事故の避難者

 東日本大震災と福島第一原発事故の発生後、福島県内の避難指示区域の住民や自主避難者は全国各地で避難生活を送っている。二〇一一年六月以降の復興庁などの調べでは、千葉県には最大三千四百六人(一三年十月時点)が避難し、二〇年十一月時点でも二千百十二人がとどまる。
 県や県内自治体は「応急仮設住宅」として、公営住宅や民間の賃貸住宅を提供して福島県の避難者を受け入れてきた。自主避難者への提供は一六年度末に終了。二〇年八月末時点では、十七世帯二十六人が居住している。
 原発事故を巡っては、国と東京電力に損害賠償を求め、千葉県内で暮らす避難者らが千葉地裁に集団訴訟を提起。第一陣、第二陣訴訟ともに、同地裁は国の責任を否定した。両訴訟は東京高裁で係争中。 (太田理英子)

横断幕を掲げ千葉地裁に向かう、福島第一原発事故避難者の集団訴訟の原告と弁護団=千葉市中央区で

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