<2021渋沢流 今に生きる心>(3)学びを支援120年 埼玉学生誘掖会 郷里の後輩育てる

2021年1月4日 07時42分

学生寮生活をしていた頃などを振り返る会頭の保泉欣嗣さん=行田市の若葉保育園で

 「自分をつくり上げてくれた無形の財産。私の宝です」。第十二代埼玉学生誘掖(ゆうえき)会会頭の保泉欣嗣(ほずみきんじ)さん(84)は、園長を務める若葉保育園(行田市)で、しみじみと振り返った。誘掖とは「導いて助けること」の意。明治大二年の一九五六(昭和三十一)年から卒業する五九年まで、誘掖会が設立した学生寮で生活した。

1904(明治37)年10月に建てられた誘掖会最初の学生寮(「埼玉学生誘掖会百年史」から)

 当時の在寮生は二十八人。入寮希望者は多く「中でも秩父出身者がたくさんいた」。二階建てで学年によって部屋も違ったが、夕食後はどこかの部屋に自然と集まり、明け方まで議論にふけった。「まさに談論風発。冷蔵庫もテレビも洗濯機もなく、みな貧しかったが、今の時代とは違った有意義な、密度の濃い時間が流れていた」と懐かしむ。
 渋沢栄一には実業家のほかに、社会事業や教育の支援者としての顔もあった。誘掖会は、渋沢ら県ゆかりの有力者によって〇二(明治三十五)年に正式発足。県出身の学生を育成するため、東京市牛込区(現在の新宿区)で学生寮を運営した。寮生の減少や建物の老朽化で寮は二〇〇一年に廃止され、現在は奨学金給与事業を行っている。

高田知和さん

 東京国際大(川越市)教授の高田知和さん(58)は一九八六年、早稲田大四年から寮生活を始めた。大学院進学後も寮で暮らし、九三(平成五)年まで在寮。二〇〇一年からは会の副会頭も務めた故中村一男さん(一九四〇〜四二年在寮)の依頼で「埼玉学生誘掖会百年史」の編纂(へんさん)を担った。その中で、渋沢について気が付いたことがあるという。
 「自分の郷里、郷党の人たちと一生懸命に会のことを考えていた。自身の後に続く者を育成する重要性を、非常に強く感じていたからでしょう。人間関係こそが最大の財産であり、そういう人との関係、あるいは後輩となるべき人物を育てるという意識が強くあったと思います」

本橋遼磨さん

 奨学金は四年間で百万円。二〇一六〜一九年度の奨学生で、中央大商学部を卒業して神戸市の金融機関に勤める秩父市出身の本橋遼磨さん(23)は「学費の心配をせずにすみ、学業に集中できた」と感謝する。給付時の会合で会OBらと話したことは貴重な経験。同時期の奨学生十人とは今も交流が続く。「渋沢翁らいろいろな人たちの思いが会をつくったんだと、あらためて認識している。今後も事業を続けてほしい」と願う。

渡辺真央さん

 現役奨学生で、参考図書の購入などに奨学金を充てている上智大外国語学部二年の渡辺真央(まお)さん(20)は、渋沢を「真の経済人」と位置付ける。「経済的困難を抱える人たちにビジネスで得た利益を投資することで、将来の社会全体によりよい利益がもたらされると考えた。素晴らしいです」
 保泉さんは一六年に会頭に就任した。時代は変わり、事業の内容や運営状況も自身の学生当時とは異なるが、脈々と引き継がれてきた人々の志は変わらない。二二年、誘掖会は発足から百二十年を迎える。「会の存続のためにできる限りのことをしていきたい。自分の人生哲学を築くきっかけを与えてくれましたから」。その精神を未来につなぐべく、心を砕く日々を送っている。 (久間木聡)
<埼玉学生誘掖会> 渋沢や現在の久喜市菖蒲町出身の林学者本多静六(1866〜1952年)、本庄市生まれの実業家で秩父セメントを設立した諸井恒平(1862〜1941年)らが発起人となり、1902(明治35)年に正式に発足。渋沢は初代会頭に就任した。学生寮は04年に設立され、2001(平成13)年に廃止されるまで2000人近い県出身の在京大学生が寮生活を送った。03年から奨学金給与事業に転換。12年から公益財団法人。

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