<東日本大震災10年 忘れられた被災地>(3)放射能 おびえる日々、二度と

2021年1月4日 07時49分

原発事故前に子どもとよく訪れた公園を見つめる米山愛さん。「不特定の人に自分を知られることが怖い」との理由で顔出しはできないと話す=守谷市で

 「あの頃は、道端の落ち葉さえも、放射能に汚染されているようで怖かった」。昨年十二月下旬、守谷市内の喫茶店。パート従業員の米山愛さん(43)は窓外の落ち葉に目を落とし、そうつぶやいた。
 二〇一一年三月十一日、地震と津波に襲われた東京電力福島第一原発(福島県大熊町、双葉町)は全交流電源を喪失し、核燃料が溶けるメルトダウン(炉心溶融)や水素爆発が発生。大量の放射性物質が大気中に飛散し、周辺住民は遠方への避難を余儀なくされた。
 米山さんは、十二日に1号機が水素爆発を起こした直後、静岡県に住む知人から「うちに逃げておいで」と電話をもらった。茨城と福島は県境を接するものの、県南地域の守谷市は福島原発とは直線距離で約百九十キロも離れている。「まさかここまで影響が出るとは思わず、仕事もあったので大丈夫だと判断した」と避難しなかった。
 ところが、三月下旬になると事態は急変する。東京都葛飾区の金町浄水場の水道水から基準を超える放射性ヨウ素が検出されたのだ。日本原子力学会の分析では、二十日から二十二日にかけて放射性物質が関東地方に流入し、降雨によって土壌に沈着。ホットスポットと呼ばれる局所的高線量地点が各地で発生したとされる。
 守谷市が五〜六月、市内の小中学校や公園など計約百カ所で空間放射線量を測定したところ、ほぼ全箇所で国の長期的な除染目標(毎時〇・二三マイクロシーベルト)を上回った。隣接する取手市や牛久市、阿見町でもホットスポットを確認。県内でも広範囲に放射能汚染が広がっている現実が明らかになった。
 米山さんは当時、六歳の長女と一歳十一カ月の双子の子育て真っ最中。県内の女性の母乳からも放射性物質が検出されたと聞き、不安を感じて双子への授乳をやめた。
 「子どもが汚染されたらと思うと、すべてが怖くなった」。子どもを公園で遊ばせる、徒歩での保育園への送り迎え…。当たり前の生活ができなくなった。県内の野菜は手に取らず、魚は日本海産などを選んだ。
 守谷市内の高線量地点では、福島原発事故から二年半後までに除染が完了した。現在は、線量も除染目標値以下で推移しており、事故前の日常生活を取り戻しつつある。「子どもの将来が心配」と話していた保護者の間でも、事故が話題に上ることはない。
 線量が下がったことに安心感を覚える米山さんだが、あの苦しさは記憶に深く刻み込まれている。そして心に重くのしかかるのが、原発の再稼働を推し進める国や電力会社の姿勢だ。東海村に立地する日本原子力発電東海第二原発も例外ではない。
 「国は原発事故をなかったことにしたいのだろう。でも、もう二度と、あのような思いはしたくない」 (松村真一郎)

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