組織の中で正しいことを貫いた… 杉原千畝の「命のビザ」に欠かせなかったオランダ人外交官の功績

2021年1月5日 17時00分

ヤン・ツバルテンダイク領事代理=遺族提供

 第2次世界大戦中、ユダヤ人難民を救った外交官杉原千畝が「命のビザ」を発給するために欠かせなかった人物がいる。オランダの外交官ヤン・ツバルテンダイク領事代理(1896~1976年)。彼が難民に便宜を図り、仮の目的地を示した証明書を発給したことが、2000件以上ものビザ発給につながった。在日オランダ大使館のテオ・ペータス全権公使(59)は「杉原以外にも難民を救う役割を担った人物がいたことを知ってほしい」と力を込める。(高野正憲)

◆日本を経由するため…名目上の受け入れ先に

 全権公使や現存する資料によると、ツバルテンダイクは1940年にリトアニアのオランダ領事代理に就任した。当時、ナチスからリトアニアに逃げ込んだ隣国ポーランドのユダヤ人難民は、さらに東へ避難しようとしていた。

ユダヤ系ポーランド人難民のパスポート。左側にキュラソービザ、右側に杉原が発給した日本通過ビザが記載されている=岐阜県八百津町所蔵


 日本通過ビザの発給には、日本より遠い受け入れ国の入国ビザを有していることが条件だった。難民に助けを求められたツバルテンダイクは、カリブ海に浮かぶオランダ領キュラソー島は入国ビザが不要と記入して、ビザに見せ掛けた「キュラソービザ」を発給。難民はキュラソー島を目指していたわけではないが、日本を経由するためには名目上の受け入れ先を得ることが必要だった。
 難民たちはキュラソービザに殺到し、これを手に駐リトアニア領事代理の杉原のもとへ。杉原は入国ビザが不要な島への渡航証明は入国ビザに相当するとみなし、日本通過ビザを発給した。全権公使は「例外的な発給でリスクがあっただろうが、道徳的に正しいことをした」と2人をたたえる。難民の多くは無事に日本から米国などに渡った。

◆戦後、外務省に批判され…本国でも功績知られず

 ツバルテンダイクの功績は、日本だけでなく本国でもあまり知られていなかった。キュラソービザが便宜的な非正規のものだったため、オランダ外務省は戦後、ツバルテンダイクを批判。本人もあまり口外せず、息子に聞かれても「大したことではない、誰もが同じようにしただろう」と答えていたという。

ツバルテンダイクの展示の前で「杉原以外の人物の役割も知ってほしい」と話すペータス全権公使=福井県敦賀市の「人道の港 敦賀ムゼウム」で


 近年、彼に関する本がオランダで出版され、その功績が国内で評価されるようになった。全権公使は「今はヒーローですが、当時は政府に対する反逆者だったでしょう。悔しいのは、難民の安否を知らずに本人が亡くなったこと」と話す。発給した95%の難民が生き残ったとホロコースト調査機関が明らかにしたのは、彼の葬儀の場だった。
 福井県敦賀市に昨年11月、杉原の功績などを紹介する「人道の港敦賀ムゼウム」が開館した。式典に参列した全権公使は「組織の中では制限があるが、どんなに状況が難しくても自分で決断して行動すべきだという、今に伝えるメッセージがある」と訴えた。

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