年のはじめに考える 民主主義が死ぬ前に

2021年1月6日 07時59分
 「古代ローマの護民官がいたなら」と思いたくなります。日本学術会議会員の任命拒否問題には、さまざまな学会などの声明・意見書が出ました。昨年末で「千」の大台を超えたとか。中でもイタリア学会のそれは秀逸です。
 菅義偉首相には「学問は国家に従属する『しもべ』でなければならないという誤った学問観」があると徹底抗議する文面です。歴史の縦糸を縦横無尽に飛び回り、批判の矢を次々と繰り出します。
 万有引力や相対性理論から始まり、ガリレオ裁判、古代ギリシャの詩人アイスキュロス、カフカの「審判」、ソルジェニーツィンの「収容所群島」を持ち出し、首相の「手前勝手な考え方」を徹底的に暴く論旨は明快です。

◆公務員こそ権力批判を

 その中で登場するのが護民官です。政権の勝手な振る舞いから国民を守る公的機関こそ護民官だったと指摘します。「現代の公務員に匹敵する護民官は、時の権力を批判・牽制(けんせい)するために作られた驚くべき官職」だったのです。
 公務員は国民全体の利益のために働くはずです。でも首相に人事を握られた日本の公務員は恐れをなして政権批判どころではありません。同学会は諭します。「政権が間違った判断をすれば、国民のために批判することは、むしろ公務員の義務」なのだと…。
 情報公開制度を始めたのもイタリアだったそうです。紀元前五九年、執政官に就任したカエサルが決めました。
 この制度で元老院の速記録、議事録が作られ公開されると、貴族の権力は大いに削(そ)がれたといいます。隠れた不正ができなくなったためです。それまで国民は元老院でどんな議論が行われているかすら知らなかったのです。
 つまり情報公開が民主主義への一歩となっているのです。逆に言えば、民主主義を破壊する手段は「説明しないこと」と「情報を秘匿すること」です。

◆虚偽答弁助長したPM

 現代ニッポンの政治状況を読み解く重要なカギです。安倍前政権も菅政権も、説明を粗末にする政治を長く続けているからです。
 菅氏らは学術会議問題が紛糾する臨時国会でも「お答えを差し控える」と何十回も繰り返しました。何も答えないのです。「問題ない」も「指摘は当たらない」のパターンもおなじみです。「仮定の質問には答えられない」も。
 事実と異なる国会答弁は常習的でしょう。「桜を見る会」では安倍晋三前首相は百十八回。学校法人・森友学園問題のときは、官僚の虚偽答弁が百八回です。
 この官僚に「PMより」のメモを渡していたのは安倍氏側でした。プライムミニスター(首相)の略です。書かれていた言葉は「もっと強気で行け」でした。公文書改ざんや隠蔽(いんぺい)、官僚の忖度(そんたく)、議会軽視も横行しています。
 憲法は権力の集中と乱用を防ぐ装置ですが、憲法だけでは民主主義を守るには不完全です。「質問に誠実に答える」「ウソをつかない」など、当たり前の礼儀や不文律、慣習が大事なのです。政党同士の寛容さと自制心も…。
 「柔らかいガードレール」と呼ばれます。レビツキーとジブラットという二人の米ハーバード大教授が著した「民主主義の死に方」(新潮社)に出てきます。
 <どれほどうまく設計された憲法だとしても、それだけで民主主義を護(まも)ることはできない>
 <うまく機能する民主主義のすべては、憲法や法律には書かれていないもの、つまり広く認知・尊重される非公式のルールに支えられている>
 不文律の規範は「民主主義の柔らかいガードレールとして役に立つ」のだと…。それを考えると、いかに安倍・菅政権が柔らかいガードレールを破っていることか。
 臨時国会を野党が求めても開かない、あるいは野党に優先させていた質問時間の慣習を破る−、さまざまな横暴によって、不正あるいは後ろめたい政策への批判を国民に見えにくくしているのです。
 二人の教授は歴史を振り返り、「悲劇的な民主主義の崩壊が起きるまえに、基本的な規範が失われるケースが数多くあった」事実を指摘します。その後の政治体制は独裁や軍政などに移ります。
 反民主主義、つまり個人や社会、思想を権威に服従させる権威主義に向かいます。全体の利益を個人の利益より優先し、全体に服従させる全体主義=ファシズムにも通じる道です。民主主義の「死」です。

◆権力が正しさ決めるな

 イタリア学会は学術会議問題の本質について「時の権力が何が正しく、何が間違っているかを決めている」と批判しています。的を射ています。国民には説明せず、情報を秘匿しつつ、異論を許さぬ政治手法には、とことん抗(あらが)いましょう。民主主義が死ぬ前に。

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