<武蔵村山新聞>巨人の足跡 恵みの水

2021年1月8日 07時15分
 東京には62もの区市町村がある。それぞれの街には何があり、どんな人たちが住んでいるのか。担当記者が「編集長」になって、一つの街を掘り下げる。

村山デエダラまつりに登場するデエダラ山車(武蔵村山市提供)

 巨人の足跡は東京にも残っている−。「だいだらぼっち」が歩いた跡が沼になったという巨人伝説は日本各地に伝わる。常陸国風土記(ひたちのくにふどき)や播磨国風土記(はりまのくにふどき)が有名だが、武蔵村山市の場合、残されたのは井戸だ。市北部に四カ所ある「だいだらぼっちの足跡」と伝わる井戸を訪ねた。
 「デエダラボッチはデッケエ男でよう。頭が雲ン中(ナケ)へ入(ヘエ)って見(メ)えねえ位(クレエ)なァだァと」
 市教委が古老から伝説や風習を聞き取り一九九〇年に出版した「武蔵村山の昔がたり」には、こう書かれている。デエダラボッチは地元の「村山ことば」で「だいだらぼっち」のこと。だいだらぼっちが山を背負って踏ん張った跡に水が湧き、井戸になったという。

ビイシャラ井戸を前に「伝説は井戸が大切にされてきた証し」と話す山田義高さん

 その伝説を今にはっきり伝えるのが、昔がたりに記された「ビイシャラ井戸」だ。現地を訪れると、「大多羅法師(だいだらぼっち)の井戸」の立て札が目に入る。市の歴史散策コース上で、訪れる人も多い。水はほとんどなく、井戸というよりは岩肌がほんのり湿ったくぼみだ。
 かつては水が「ビイシャラ」と音を立てて流れていたことから、この名が付いた。近くで育った荻野恵美子さん(87)は「ビイシャラには、昔は本当にきれいな水がいっぱいあったんだよ」と目を細める。上水道が整備される前は、日照りの時などに近所の人たちが水をもらいに行っていたという。
 「山王様」と呼ばれる日吉神社の井戸にも、だいだらぼっち伝説が残る。現在は防火用水に姿を変え、古代の趣はない。荻野さんは結婚後は神社の近くに住み、よく水をもらいにいった。「リヤカーを引いてね。家の水がめをいっぱいにして、それでお勝手仕事も洗濯もみんなやったんだ。大事な水だったよ」
 同市中藤に「ババ井戸」という伝説ゆかりの井戸があったが、今となっては正確な場所がわからない。もう一カ所、同市神明の民家に残る井戸もあるが、こちらはふたがされ、一見それとは分からない状態だ。これら四本のほかにも伝説の井戸がいくつかあったようだが、詳細は不明だ。
 武蔵村山観光まちづくり協会の山田義高さん(61)は市立歴史民俗資料館の新人職員時代に聞き取り調査に携わった。調査当時は「神明では、だいだらぼっち伝説は有名だった」と振り返る。「水が豊かに湧き出る理由を巨人伝説として語り継いだのは、井戸が大事にされてきた証しなのでしょう」と思いをはせる。
 井戸が生活の場から消えても、だいだらぼっちは祭りの象徴として今も姿を現す。毎年十月の「村山デエダラまつり」で、巨大なだいだらぼっちの山車が市内を練り歩く。昨年はコロナ禍で中止。今年は勇壮な姿を見せてくれることを多くの市民が願っている。

◆早く来い来いモノレール マスクでPR

モノレールマスクで早期延伸をPRする交通企画・モノレール推進課の池谷望さん

 武蔵村山市は都内の市で唯一、鉄道駅がない。多摩都市モノレールの北の終着駅、上北台駅(東大和市)から箱根ケ崎駅(瑞穂町)の延伸区間が開通すれば、悲願の鉄道が市を横断することになる。市は五つの駅設置を都に要望している。
 モノレールの全線開通から二十一年。市は「みんなで呼ぼう!モノレール」の掛け声の下、あの手この手で市民らに早期延伸をPRしてきた。市交通企画・モノレール推進課の大坪克己課長(51)は「市内の機運醸成が実現の鍵」と強調。この冬はモノレールのイラストをあしらったマスクを初めて製作した。二〇一五年からは市独自のモノレールカレンダーも作っている。マスクは二枚組み五百円、カレンダーは一冊三百円。市役所の市政情報コーナーなどで販売し、売り上げは市の多摩都市モノレール基金に積み立てられる。

◆武蔵村山市

 人口約7万人、面積は約15平方キロメートル。北部は狭山丘陵を挟んで埼玉県と隣接する。村山の由来は、峰の連なりを指す「群山(むれやま)」がなまったものという説がある。市広報キャラクターは、市の鳥メジロをモチーフにした「Mジロ」と「Mザベス」。
★市内の岸地区は、自然災害などに耐えて1000年以上続く集落を探すプロジェクトに応募。都内で初めて千年村に認定された。
★町制時代は村山町。1970年の市制移行で村山市になるはずだったが、山形県にすでに同名の市があり、武蔵村山市になった。
★市中心部の3本のエノキは市のシンボルで「三本榎(えのき)」と総称される。1本は昨年折れて撤去し、根から後継を育成中。

◆編集後記

 デエダラボッチ伝説の井戸四本は市北東部に集中している。今は造成で平地になっている場所もあるが、四カ所とも元は狭山丘陵の谷筋だったという。「デエダラボッチの井戸とは、狭山丘陵の恵みの湧き水だったのでしょう」と山田義高さん。ビイシャラ井戸に水があったのは、三十年以上前のことだそうだ。水がなくなったから、伝承が途絶えつつあるのか。あるいは、その逆だろうか。
  文と写真・林朋実
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