イタリア・フランス国境の街に「難民のマンマ」 カフェで受け入れ「罪のない彼らを見放せない」

2021年1月8日 17時00分

イタリア北西部ベンティミリャで昨年12月、バール「ホビット」のカウンターに立つデリア・ブオヌオーモさん

 イタリア北西部のベンティミリャ。フランスと接するこの街に、国境を越えようとやってくるアフリカ系などの難民たちが憩うバール(カフェ)がある。排他的な地元住民からは疎まれ、コロナ禍もあって経営は苦しいが、難民たちが「マンマ・アフリカ(アフリカのお母さん)」と慕う店主のデリア・ブオヌオーモさん(58)は「彼らのためにも店を守らなくては」と前を向く。(ベンティミリャで、谷悠己)
 ベンティミリャ駅に程近い路地裏にたたずむバール「ホビット」。扉を開けると、黒人の女児が笑いながら走り寄ってきた。「子どもが外に出ないように見張っていなさいね!」。デリアさんがカウンター越しに、店内のアフリカ系難民たちに声を掛けていた。
 「初めは難民だからと特別扱いせずに店へ入れていただけだったのだけど…」。デリアさんが振り返る。
 10年ほど前から、市内にはアフリカ系や中東系の難民が経済状態の良いフランスを目指して集まり始め、「欧州難民危機」と呼ばれた2015年前後に激増。市民感情が悪化していく中で極右系の市長が誕生し、難民に門戸を開くバールはホビットだけになった。市民はほとんど寄り付かなくなり、嫌がらせを受けたことも一度や二度ではない。

新型コロナウイルス感染拡大前の昨年1月、ホビットで難民や支援者らに囲まれるデリアさん(後列右から5人目)。前列右端がアダムさん=デリアさん提供

 難民たちは1ユーロ(約125円)のコーヒーやビスケットを一つでも注文すれば長居でき、携帯電話も充電できる。「経営を優先し、難民たちに出て行ってもらうことも考えた」というデリアさん。しかし、自身も幼少期にオーストラリアへ移住し、差別を受けたつらい経験がある。幼子を連れた母親の姿を何度も目にするうちに「罪のない彼らを見放せない」と寄り添い続けることを決めた。「心が私に命じたことなので、後悔はしていない」と話す。
 デリアさんの支援に心を打たれ、フランスへの入国をやめてイタリアに残る選択をした人もいる。北東アフリカ・スーダン出身のアダムさん(33)は、デリアさんからイタリア語を教わったことで難民支援団体から通訳として雇われ、路上生活を抜け出せた。「デリアのおかげで道中のつらさを癒やすことができた難民は多い」と話す。
 最近では、多くの難民船が出航する北アフリカ・リビアの港でも「ベンティミリャにたどり着いたらホビットを目指せ」との口コミが広がっているという。
 デリアさん自身は一度もアフリカを訪れたことはないが、難民らの話を聞く中で動物たちがたわむれる広い草原を何度も旅した気分になったという。「亡くなったらアフリカに埋葬してほしい」。デリアさんが好んで口にするジョークだ。

 コロナ禍で何度も休業を余儀なくされたバール「ホビット」は経営難に直面し、クラウドファンディングで事業継続資金の寄付を募っている。サイト(英語)はこちらから。

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