【動画】無人の実家、奪われたままのふるさと 福島県大熊町・門馬さんの思い<あの日から・福島原発事故10年>

2021年1月11日 06時00分

中間貯蔵施設の敷地内、土のう袋の山に囲まれた門馬好春さんの実家(手前左)。奥は事故収束作業が続く東京電力福島第一原発=福島県大熊町で(ドローンから)

 黒い土のう袋(フレコンバッグ)が6段重ねで積み重なる。その山に取り囲まれるように、木造の民家がぽつんと残る。2階の窓から海側に目を向けると、林の向こうに東京電力福島第一原発(福島県大熊町・双葉町)の構内にある建物が見えた。

◆生まれ育った家、原発から200m、帰還困難区域に

 原発からわずか200メートル、大熊町にある民家を、ここで生まれ育った門馬好春さん(63)=東京都渋谷区=と一緒に訪ねた。一帯は1600ヘクタールと広大な中間貯蔵施設の敷地内で、県内各地から放射能で汚染された土入りの土のう袋が運ばれてくる。町の許可なしには入れない帰還困難区域だ。
 「ほい、ただいまー」。全身白い防護服を着た門馬さんが、ツタがはう玄関をくぐって言った。
 返事はない。

◆「子ども時代、父親のひざの上で眺めた風景」

 あの日から、無人となった実家への帰省は1年2カ月ぶり。玄関先に腰掛け、足をぶらりとさせた。「一番落ち着くんです。子ども時代に父親のひざの上で外を眺めたからかなあ」

「一番落ち着くんです」と玄関に腰をおろす門馬さん

 実家で暮らしたのは18歳までと、福島第一原発などの施設運営に関わった25~30歳。東京で暮らしていても、実家でつくる米を食べ続けた。「マツタケ、ドジョウ、食う物はいっぱいあった」。田園風景の面影は消えつつある。

◆東京都心の100倍の空間放射線量、長くいられず

 玄関先に座るのは、帰省のたびの習慣だ。原発事故前、30~40分は座ったが、今は5~10分になった。空間放射線量が東京都心の100倍近い毎時3マイクロシーベルトほどあり、長くいられない。

外の景色を見つめながら故郷について語る門馬さん

 視線の先に、高さ3メートルほどのやぶが茂る。「おやじが裸一貫で築いた田んぼなんです」。今は耕すこともできない。「戦争は故郷までは持っていかなかったけど、原発事故は実家も故郷も奪ってしまった」。やぶの先の原発では、終わりの見えない事故収束作業が続いている。(福岡範行)
                      ◇
 東日本大震災と福島第一原発事故からあと2カ月で10年。被災した人々と被災地の今とこれからを、随時伝えていきます。

PR情報