大学とは何か?

2021年1月11日 07時00分
 初の大学入学共通テストが間近に迫るなど受験シーズン真っただ中だ。とはいえ、今や大学は事実上の全入状態。コロナ禍、日本学術会議問題などもあり、大学の意義、大学で学ぶ意味が問われている。

<日本の大学> 第2次世界大戦前は旧制高校などを出たエリートを対象にした高等教育機関。戦後は民主化、大衆化が進む。それでも国立大では教授会が管理運営を担うなど大学の自治は強かったが、2004年の独立行政法人化を機に学外の人材も含めた経営協議会の力が強まっている。研究費の配分も特定の研究への集中が進んでいる。

◆文理融合し総合知に 作家、同志社大客員教授・佐藤優さん

 大学時代に学ぶべきことは二つあります。一つは、普遍的な真理に迫る「学知」。ギリシャ語でいうエピステーメーです。もう一つはテクネー。広い意味での「技術」です。両方を勉強する必要があります。
 私が教えている神学部では学知が中心です。だから優秀な学生は、必要な技術は大学とは別のところで学んでいます。フランスの啓蒙(けいもう)思想家を研究している大学院生がいます。彼は将来、商社に就職してアフリカで働き、現地の人の役に立ちたいと考えています。そのため、フランスに半年留学してフランス語を学び、英語は語学学校で勉強し、簿記二級の資格取得も目指しています。
 学知を生かす技術をどうやって身に付けるか。司法試験や公務員試験を受ける学生の多くはそのための専門学校に通っています。学部や専攻にもよりますが、大学では技術を十分に教えることはできません。それでいいと思います。大学が専門学校のまねをしても、うまくいくはずがありません。
 大学は、さまざまな問題を抱えています。学生の中には、偏差値競争に疲れ切り、勉強が嫌いになっている人がいます。また、私立文系だと、英語と国語、社会科の中の一科目だけ勉強してきた人がいます。入試は突破できました。でも、他の科目の基礎的な教育を受けていないので、入学後は大変です。
 先生の中にも実は、勉強嫌いがいます。出身校の教授になることが人生の目標になっている人がいて、教授として戻ると、もう勉強しません。このままでは大学、特に人文・社会科学系の学部は崩壊する。私は危機感を持っています。
 入試にも問題があります。国立大では、しっかりした二次試験の問題を作れるところが少なくなっています。試験問題の作成を外部に丸投げしている大学もあります。入試の充実を真剣に考えないと、その大学は生き残れません。
 新制大学の発足から七十年がたち、大学は制度疲労を起こしています。今、大学の使命は、文理融合を進めることです。理系の先生は専門分野について文系の先生や学生に説明する。文学や歴史を研究している先生は理系の先生や学生に。そうすることで、総合的な学知をつくっていく。それが大学に求められていると思います。(聞き手・越智俊至)

<さとう・まさる> 1960年、東京都生まれ。同志社大大学院神学研究科修士課程修了後、外務省入省。2016年から母校で教える。『大学の問題 問題の大学』(共著、時事通信社)など著書多数。

◆学び直し 軽く一歩を 女優、タレント・いとうまい子さん

 大学で学ぼうと思った一番のきっかけは、芸能活動も二十五年が過ぎてお世話になっている方たちに恩返しをしたいと考えたことでした。芸能以外の分野で何かできないかと。でも、私は高校を出てすぐにこの世界に入ってしまったので、すべを知らない。勉強することでその土台を見つけたかったのです。
 二〇一〇年に早稲田大の通信教育課程である人間科学部eスクールに入りました。もともと理系の学問が好きで、ゼミはロボット工学。関心があった予防医学への応用を考えての選択です。四年で卒業しようと思ったので科目数が多かった。通信といってもオンデマンドビデオで学習する形式なので、授業はほぼ毎日。「レポート」提出にも追われ、本当に大変でした。
 でも卒業が近づいたころ感じたのは、学びは多かったけれど、入学前に想像していた「成長」はなかったということでした。目指しているところにはたどり着けていなかった。結局、大学の学部時代は社会人になるためのレッスン、下準備であり、掘り下げて研究することではないのだと思いました。
 幸い成績は良い方で、推薦での大学院進学が可能。四年の時に発表したロコモティブシンドローム(運動器症候群)予防に役立つロボットについて、ある企業から支援の申し出もあり、大学院で研究を深めることにしました。
 大学院では、学部時代のような与えられる課題はありません。自分でやりたいテーマを探し、それを掘り下げてまとめます。ただ覚える「学ぶ」と違って、自分のやりたいことへのステップになる「知識を蓄積する」こと。学部時代にはない楽しさがあります。
 皆さんも学び直したいなら、軽く一歩踏み出してはどうですか。駄目だったらやめて別の道に行けばいいだけのこと。人生百年時代、いろんなことにトライしてみましょうよ。今はインターネットなど学ぶ方法はいろいろある。自分のテーマがはっきりしていて研究、発表のスキルがあるなら、大学に行かなくていいとさえ思います。
 私自身の研究では、スクワット運動をアシストするロボット「ロコピョン」の開発を継続。それとは別に、老化を抑制する栄養物質を探しています。研究の旅はまだまだ続きます。壮大な趣味かもしれませんが(笑い)。 (聞き手・大森雅弥)

<いとうまいこ> 1964年、愛知県生まれ。83年にデビュー。テレビドラマ「不良少女とよばれて」などで活躍。早稲田大大学院人間科学研究科博士課程に在学しながら、東京大大学院と共同研究を進める。

◆真の「学問」に帰るとき 京都大准教授・宮野公樹さん

 大学とは、何よりも「学問」をする場所です。
 日本の大学設立の目的は国力強化でした。それなら実践的な内容を扱う「専門学校」をたくさんつくればよかったのに、つくったのは学問を掲げる「大学」というものでした。私はそれに救いを感じます。源氏物語に、国を治めるなら学問をした人間であるべきだ、という一節があるように、古くから学問の重要性が認識されていたからでしょう。
 ではその学問とは何で、大学とは何か。学問とは食うこと、つまり生きることとは何かを考えることであり、大学とは食うことを心配しないでその問いを持つことができ、果ての果てまで考え、対話するところです。どんな専門であろうがそれは入り口でしかなく、最終的に行き着くところ、自分自身の存在について考えることです。
 しかし、今や大学自体も食うことばかりを考えている時代。国立大では独立行政法人化が転換点でがらっと変わりました。かつては産学連携に反対するデモが起きたそうですが、今はどれだけ民間などからお金を引っ張るかが最優先事項です。そのためには時代を読んで、課題解決に資する研究が必要だと。
 もちろん不都合を解消することは大事です。しかしそれは子どもでも言えること。なぜその課題が存在するのかを考えないと、本当の課題解決にはつながりません。時代という同じ流れに乗っていたら流れは見えない。見るためには時代を離れないと。それこそが普遍、学問がやるべき仕事なのです。
 具体的にどう学問するか。私が在籍する学際融合教育研究推進センターがやっている「京大100人論文」はその一例。研究者百人が生涯追い続けたい研究テーマをポスター発表のように掲示。これに参加者が付箋に匿名でコメントする。匿名だからこそ参加者同士がピュアに意見を交換することができる。そうして自分たちの興味・関心を互いに磨き合うのです。
 日本学術会議の問題では多くの学会が抗議声明を出しました。闘うのは当然とする一方、大学人は本当に社会に響く仕事をしていたかを自らに問う必要があります。それは決して役立つもののことではありません。真の学問だけが持っている言葉にならない迫力を示すこと。今こそ大学の本分である学問に帰るべきだと思います。(聞き手・大森雅弥)

<みやの・なおき> 1973年、石川県生まれ。専門は学問論、大学論。近著『学問からの手紙』が2019年、京都大生協で一般書売り上げ1位。2月に『問いの立て方』(ちくま新書)が発売予定。

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