<ひのはら新聞>村は人を呼ぶ 縄文人も落ち武者もコロナでも

2021年1月12日 07時09分
 東京には62もの区市町村がある。それぞれの街には何があり、どんな人たちが住んでいるのか。担当記者が「編集長」になって、一つの街を掘り下げる。

落人伝説が残る数馬の集落

 島しょ部を除くと都内で唯一の「村」である檜原(ひのはら)村。神奈川県や山梨県と接している東京の西端にあり、約93%が林野。村民はわずかな土地で肩を寄せ合って暮らしている。電車もない、コンビニもない。それでも、この土地には、太古の昔から人々を引き寄せる不思議な「引力」があるようだ。
 村役場から集落と山間地をいくつか越えると、最奥部に数馬地区の集落が見えてきた。今では日帰り温泉施設や旅館が立ち並ぶが、かつて、織田信長に滅ぼされた武田氏の落ち武者が住み着いた、との伝承が今でも語り継がれている。
 武田信玄で有名な武田氏にまつわる伝承は、村内各地に伝わる。村郷土資料館には、信玄の娘「松姫」が落ち延びた際に残したとされる「松姫の手鏡」が展示されている。武田氏以外の落ち武者の子孫や源頼朝に仕えた一族が住み着いたといった伝承もある。林野に囲まれた檜原は、隠れ住むのにもってこいの地域だっただろう。
 とはいえ、山奥への移住は、人目を避けるためだけだったわけではない。郷土資料館の清水達也館長代理は「もっと古い時代には、土地の住みやすさが気に入って住んでいた人たちもいるんですよ」と話す。
 村内には調査されているだけでも、縄文時代をはじめ、二十八カ所の遺跡が点在する。標高約九百五十メートルの山腹にある「中ノ平遺跡」は都内で最高所にある縄文時代早期の遺跡。付近では竪穴住居の跡が見つかり、出土品が郷土資料館で保管されている。「何もこんな山奥に住まなくても…」との疑問を抱いてしまうが、清水さんは「当時は狩猟が生活の糧」と指摘。木の実も採れる山間部は衣食住に困らない場所だったようだ。

「自然に囲まれ、幸せです」。昨年8月に檜原村に移住した渡部さん家族

 そして現代の檜原村。「水がキラキラしているのが魅力。自然の中で暮らしたいという夢がかなった」と、昨年八月に福生市から、会社員の夫(38)、長女(4つ)と移住してきた渡部由佳さん(38)。写真家の渡部さんは、自然の中で家族写真を撮影する仕事を続け、檜原村の魅力に取りつかれた。数年前から移住を検討してきたが、コロナ禍をきっかけに移住に踏み切ったという。
 今は写真だけでなく村内の山林を活用した親子向けの自然体験イベントも企画。「野山を駆け巡る経験を子どもたちにさせたくって」と語る渡部さんの姿を、夫と長女が笑顔で見つめていた。
 村によると、コロナ禍と前後して移住してくる若者世帯が増えているという。住みやすさを求めた縄文人、隠れ住む場所を求めた落ち武者、そして、自然に囲まれた生活を求めて移り住む現代の若者たち−。時は移ろうが、村の不思議な引力は今も働き続けているようだ。

◆たった一つのスーパー

「たった一つのスーパー」で働く市川さん(右)と吉村さん

 歌手の吉幾三さんは一九八四年に発表した楽曲「俺ら東京さ行ぐだ」で、「テレビもねぇ、ラジオもねぇ…」と田舎暮らしの不便さをコミカルに歌った。デパートはもちろんコンビニもなかった檜原村に二〇一六年、待望のスーパー「かあべえ屋」が誕生した。
 村民ら十数人のアルバイトが勤務。中には高校生もいるが、店長代理の市川敬裕さん(36)は「お客さんはほとんど顔見知りなので、家族も安心ですよ」。自身も、小学校の同級生の家族から「けいすけ、しっかり仕事しろよ」と声をかけられることもあるという。
 そんなフレンドリーな店には、野菜や魚、肉などの食材はもちろん、トイレットペーパーや文房具など、村民が必要とする日用品はほとんどすべてそろう。中でも、店の奥にある調理場で作るお総菜が人気だ。
 「ベテランのお母さんの煮物は絶品。ゴボウやジャガイモなどは素材のおいしさが感じられるんです」と、従業員の吉村彦江さん(55)。調理担当によって味付けも日替わり。
 村でたった一つのスーパーには、都会では買えない品物も並んでいる。

◆檜原村

 都心から西に約50キロ。山梨県、神奈川県と接する。面積は約105平方キロメートルで、都内の自治体では奥多摩町、八王子市に次いで広く、その9割が山林。人口は約2000人。払沢(ほっさわ)の滝は、都内で唯一「日本の滝百選」に選ばれている。
★奥多摩町との境にある「月夜見第二駐車場」には、「病院に収容されるまで2時間」と警告する看板=写真=がある。安全運転を心掛けたい。
★明治、昭和、平成の各時代で行われた全国市町村の「大合併」だが、村は常に独立を選択。平成の大合併で行ったアンケートでは、中高生の合併反対が多かった。
★「人里」地区の読みは「へんぼり」。モンゴル語で「人」は「フン」。古代朝鮮半島の国・新羅の言葉では「里」が「ボル」。二つの言葉が由来との説もある。

◆編集後記

 「(島しょ部を除く)東京でたった一つの村」。取材に応じてくれた住民は、誇らしげに語っていた。村に住むことをステータスに感じている若い人たちは多いが、取材を通して理由が少しわかった気がする。そういえば、締め切りが迫った時や、取材相手と丁々発止のやりとりを終えた後など、ふらっと檜原村に向かうことがある。自身も村の引力に引き寄せられているのかもしれない。
 文と写真・布施谷航
 ◆紙面へのご意見、ご要望は「t-hatsu@tokyo-np.co.jp」へ。

関連キーワード

PR情報

TOKYO発の新着

記事一覧