味覚、嗅覚を失い、そして自宅も 福島・大熊町の元そば職人 原発事故の苦しみ解き放つ和太鼓のリズム<あの日から・福島原発事故10年>

2021年1月13日 06時00分
 ドン、ドン、ドン。
 和太鼓の重低音が体を震わせる。東京都町田市のビルに入る音楽スタジオで、バチを握る高山恒明つねあきさん(65)は一点を見つめていた。「何もかも忘れて無心になれる」。東京電力福島第一原発(福島県大熊町・双葉町)事故に翻弄されて味わった苦しみからも、解き放たれる瞬間だ。

太鼓教室のフランチャイズオーナーになり、太鼓の練習をする高山恒明さん(手前左)

 原発から5キロ、大熊町内でそば店を営んでいた。そば職人にあこがれ、28歳のときに脱サラ。同町内で妻の実家近くの土地を探し、横浜市から移住した。
 「季節ごとにそば粉の産地を変え、だしのかつお節は甘みがあって臭みが少ない一本釣りしたカツオだけを使った。お客さんの笑顔が見たくて、品質にこだわった」。懐かしそうに語る顔は、どこか誇らしげだ。

原発事故前の2010年9月、営業していたそば店で、そばを打つ高山恒明さん=高山さん提供

 東電や下請け企業の社員らが接待で頻繁に利用し、店は繁盛した。2週間先まで予約が埋まるほどだった。そう、あの日までは。

◆6万円かけて宇都宮へ

 2011年3月11日午後2時46分、東日本を激しい揺れが襲ったとき、福島県大熊町のそば職人だった高山さんは、親族の法事でさいたま市内にいた。4日後、羽田空港から福島空港へ飛行機で移動し妻と母が避難する福島県三春町で合流した。タクシーで「なんとか福島県を出よう」と予約が取れた宇都宮のホテルへ。「渋滞して9時間、6万円ぐらいかかった」と振り返る。
 避難先を転々とし2カ月後に親戚の紹介で埼玉県越谷市のアパートに入居した。一息つく間もなく、自身の体に異変が起きる。
 何を食べても味がしない。「妻が疲れて味付けがおかしくなっているのかなと思い、言い出せなかった」

◆「避難のストレスかな」

 同じ年の12月ごろ、一人で留守番をしていると、帰宅した妻が叫んだ。「どうしたの!」。石油ストーブの暖気をこたつに送るビニールホースが焦げた臭いが充満していた。味覚と嗅覚をほぼ失っていた。
 2年ほど無味無臭の暮らしを強いられた。「避難のストレスかな」と感じたが、原因は不明だ。今も治療を続けるが、料理人としての感覚には程遠いままだ。「料理番組を見ていると『おれだったらこうするなぁ』と思っちゃう。それで『あ、おれ、味が分からねぇからできないか』って。すごく切ない」。そば屋の復活は難しかった。
 ハローワークで仕事を探したが断られ続けた。「年齢的に自営しかないのでは」と思い、たまたまインターネットで太鼓教室の運営者を募る広告を見つけた。

◆消えた不眠の悩み

 まったく無経験だったが夫婦で太鼓を体験してみると、不眠に悩まされていた妻がその夜はぐっすりと眠れた。「太鼓も人の笑顔が見られる仕事なのかも」。13年5月、東京都町田市で太鼓教室「TAIKO―LAB町田」を開いた。
 講師を雇いながら、自身も生徒となり学んだ。生徒の笑顔にやりがいを感じるようになった。ただ「町田の家に帰っても他人の家に来たようで『ただいま』と言うのがいまだに変な気分」だという。
 帰還困難区域にある自宅兼店舗は17年春に取り壊した。「さみしくなるから」と立ち会わなかった。そば道具も他人に譲った。不動産業者から送られてきた更地の写真を見て思った。「これで、そば職人としての人生は終わった」

取り壊す前のそば店「蕎麦切り たか山」=高山さん提供

 18年、東電による精神的苦痛に対する賠償が打ち切られた。「時間がたてば傷は癒えると東電は考えているのかもしれないが、それは大きな間違いだ」

◆「全ての家を建て直して」

 忘れられない光景がある。「あの日」よりもずっと前、福島第一原発での作業ミスを記者会見で謝罪した東電幹部が、その日の夕方に来店した。「下請けがどうしようもねえんだよ」と笑っていた。
 未曽有の原発事故を起こしても、東電の体質は変わったようには思えない。
 「福島の汚染をゼロにして、全ての家を元通りに建て直し、原発も更地にして住民に返してほしい。それが事故を起こした当事者としての責任じゃないんですか」(小野沢健太)

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