<半藤一利さん死去>非戦の思い…歴史の大河に立つ知の巨人逝く

2021年1月13日 11時24分
 ゲタを鳴らしてやってくる。夏はもちろん、寒い冬の日もカラン、コロンと。待ち合わせは自宅の近くの喫茶店。「いいですよぉ、遠慮します」「そこを何とか」。戦争史や皇室関係で取材のお願いの電話をすると、押し問答の末に結局いつも受けてくれた。(荘加卓嗣)

◆戦後ほどなく昭和史研究始め、関係者へ取材重ねる

半藤一利さん

 1時間取材して、あとの1時間は雑談。雑誌編集者だったから話題は豊富で歴史から政治、社会、ときに芸能と縦横無尽。酒が入ると、さらに上機嫌だった。あるときはインフルエンザの予防接種をした日だったため飲酒を控えるよう勧めたところ、「なんでこんな日にしちまったのか」と本気になって悔しがった。
 戦後まだ10年ほどのころから昭和史の研究を始め、関係者への取材を重ねた。戦争の記憶が生々しく、触れること自体がタブーの時代。「社内で保守ハンドウ(反動)と言われた」と笑う。「日本のいちばん長い日」は2度にわたって映画化されたが、1967年に映画化された時には取材した元軍人を試写に呼んだ。

◆東京大空襲で焼け死んだ人々…原点は戦争体験

 「その元軍人が『あれはバレていなかったな』と言いながら帰って行った。まだ明らかになっていないことがあるはず。それは何なのか」と「歴史探偵」の目を常に光らせた。原点は自らの戦争体験。東京大空襲の際、目前で焼け死んでいった人々を語るとき、いつもの明るさは曇った。
 そうした非戦の思いは世代が近い上皇ご夫妻とも共有し、上皇さまの在位中は何度も御所に呼ばれて戦争の話をした。その際「陛下の前で、ある軍人が『ケツ』を撃たれたという話をして、同席したかみさんに怒られた」といたずらっぽく笑ったこともある。

◆「満州事変の頃のような国際社会」と警鐘

 視座は昭和という東洋の島国の一時代に限らず、世界史的に広がっていた。自らが左翼扱いされるようになった日本社会の右旋回を憂い、米国にトランプ政権を誕生させた国際社会の内向き傾向を、満州事変の頃のようだと警鐘を鳴らした。
 コロナ禍でますます不透明さを増す世界。歴史の大河の中で私たちが立つ「今」を指し示してくれた洒脱しゃだつな知の巨人を失うことが、何とも不安で、怖い。

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