海の上を走った鉄道 明治の遺構・高輪築堤 築年代で異なる石垣

2021年1月14日 07時04分

築堤を通り抜ける水路の遺構。向かって右半分は建設当初の石垣、左半分は表面がごつごつしているため拡幅時の石垣とみられる=いずれも港区で

 都心のひろーい再開発用地から出てきた、ながーい石垣。国内初の鉄道を走らせるため明治初期に造られた「高輪築堤(ちくてい)」が8日、報道陣に公開された。東京で最も新しいJR駅「高輪ゲートウェイ」(港区)のそばで見つかった鉄道の原点ともいえる遺構のポイントをお伝えする。
 山手線に京浜東北線、東海道線、東海道新幹線。高輪ゲートウェイ駅付近は電車がひっきりなしに通る。にわかには信じ難いが、その線路の下はかつて海だった。付近で計〇・八キロにわたり見つかった、高輪築堤の遺構が動かぬ証拠だ。

蒸気機関車が走る高輪築堤を描いた明治初期の錦絵=鉄道博物館提供

 この築堤、新橋−横浜間で一八七二(明治五)年に開業した国内最初の鉄道が走った。今の田町駅付近−品川駅付近の二・七キロにわたり、遠浅の海を細長く埋め立てて造った。付近に土地を持っていた当時の軍が「所有地に鉄道を通すな」と反対したためという。見どころは、高さ四メートルの築堤の海側の石垣。寄せる波に耐えるよう、築堤の上部まで四角い石で覆ったという。今も石垣の下の方は建設時のまま残っている。
 船の通り道として、築堤の一部を断つ形で設けた水路跡も面白い。石垣の表面を見ると、築堤の海側より陸側の方がごつごつしている。輸送力増強のため一八九九年に陸側へ築堤を拡幅した際、建設当初と違う仕上げにしたからという。

築堤上にはJRの高架の橋脚跡がくぼみとして残る(矢印)

 かつての浅瀬から頭をのぞかせる無数のくいも、独特の景観をつくり出す。周囲の地盤を強化させつつ、わざと海底から頭を出させて波の勢いを抑える役目も持たせたようだ。一部は今回の調査のため地中から抜かれた。マツの木らしいが、腐食していないようだった。
 JR東日本と港区教育委員会の調査は今後も続く。広さ九・五ヘクタールに及ぶ再開発との兼ね合いもあるが、せっかく現れた貴重な遺構。海の上を走った明治の鉄道を後世に伝えるよすがとして、できるだけ保存してほしいものだ。
 文・梅野光春/写真・由木直子、隈崎稔樹
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高輪ゲートウェイ駅近くで見つかった高輪築堤(点線内)=本社ヘリ「おおづる」から


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