解体議論の被爆建物「旧陸軍被服支廠」、幅広い世代で考えたい 子ども向けガイドブック配布へクラウドファンディング
2021年1月16日 12時00分
第2次世界大戦中、広島原爆をくぐり抜けた巨大な赤れんがの建物群で、軍都・広島を象徴する存在でありながら老朽化により解体が議論されている「旧陸軍被服支廠 」(広島市南区)。現存するこの世界最大級の被爆建物について、幅広い世代に考えてほしいと、子ども向けのガイドブックを制作・配布する活動が始まっている。現存する4棟を再現できるペーパークラフトが付録にあり、子どもたちが作りながら被服支廠に思いをはせるきっかけになりそうだ。 (北條香子)
旧陸軍被服支廠 1913年に建てられた、国内では珍しい赤れんが張り、鉄筋コンクリート造の倉庫群。戦時中は軍服や軍靴を製造する軍需工場として、多くの学徒が動員された。爆心地から約2.7キロで、爆風で鉄扉が変形。被爆者の臨時救護所となった様子が峠三吉の「原爆詩集」に描かれている。戦後、学生寮や民間倉庫として使われたが、90年代以降、活用案がまとまっていない。
被服支廠は広島県所有の3棟と国所有の1棟の計4棟が現存するが、老朽化が進む。県が2017年に行った耐震診断で「震度6強の地震で倒壊する危険性が高い」とされ、幅4メートルの市道の向かいには住宅やマンションが立ち並ぶことから、県は安全対策として19年末、1棟は補強した上で保存し、2棟は解体する方針を公表。しかし、歴史的な価値から全棟保存を求める市民らの反対で、結論は先送りされた。
ガイドブックを作成しているのは同市東区のペーパークラフト作家、遊馬 しいしさん(57)。山口県出身で22年前に広島市に移り住んだが、解体問題がニュースになるまで、被服支廠を訪れたことはなかったという。広島で生まれ育った息子2人も、被服支廠のことは知らなかった。遊馬さんは「原爆ドームの何倍もの敷地面積がありながら、被服支廠は市民さえ知る人が少なく、存在感が薄い」と指摘する。
県が2棟解体の方針を公表後に行ったパブリックコメントでは、県外在住者も含めた全体の61.1%が「(県所有の)3棟保存」を求め、「一部解体を容認」は35.8%だったが、広島市民に限定すると3棟保存が52.6%、一部解体派が45.0%と拮抗 。保存にかかる財政負担への懸念などから賛否が割れている。
昨年1月に初めて被服支廠を訪ね「最初は赤れんがの美しい建物と思ったが、巡るうちに苦しみながら亡くなった被爆者への畏敬の念が湧いた」という遊馬さん自身、保存すべきか解体すべきか、明確な意見は持てずにいるという。
だが、平和を伝える生き証人である被服支廠が、広く知られないまま解体されることは「もったいない」と感じる。遊馬さんは「未来を担う子どもたちに被服支廠を知ってもらい、保存するのであれば利活用方法をともに考えていきたい」と力を込める。
ガイドブックはA4判カラーで8ページ。子どもが理解できるよう内容に工夫を凝らし、被服支廠の歴史や写真、地図などを掲載する。まずは広島市立の小中学校と特別支援学校計205校の全学級に1部ずつ配布し、平和学習に役立ててもらう。
ガイドブックの作成費用はクラウドファンディングで500円から募っている。2月14日まで。ガイドブックに付くペーパークラフトとは別に、爆風で変形した窓枠の形やレンガの色など細部にこだわって再現した1号棟のペーパークラフトなど、額に応じたリターン(返礼品)が選べる。
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