耐え抜く男の生き方 『いとまの雪』(上)(下) 作家・伊集院静さん(70)

2021年1月17日 07時00分
 開口一番、「どうでしたか」と感想を求められた。面白く一気に読み終えたと伝えると、ほっとしたような笑顔を見せた。「失敗の可能性の方が高いかもしれないが、古希を前にやってみるかと思ったんです」
 何十作も書いてきた大家とは思えない謙虚な姿勢だが、それもそのはず。今回挑んだのは「初めての時代小説」。しかも題材は「忠臣蔵」である。何度も歌舞伎や小説の題材となり、誰もが知る四十七士のあだ討ち物語を、中心人物の大石内蔵助の人生に添って描く。まさに直球勝負の高い障壁を自らに課した。
 「自分はずっと時代小説の読者でしたが、いいと思うのは藤沢周平の『蝉(せみ)しぐれ』にしても、山本周五郎の『樅(もみ)ノ木は残った』にしても、耐える男の物語だと気付いた。そして『忠臣蔵』こそ、じっと耐え抜く、気骨ある男の生き方が描けると思ったんです」
 副題に「新説忠臣蔵」と銘打つ通り、新解釈も織り込んだ。「調べて感じたのは、討ち入りの成功は奇跡に近いということ。優れた経済官僚が背景にいたのでは」。その視点から、藩の財政を支えた「赤穂の塩」に注目。そこに四十八番目の浪士という謎も絡めた。「生きるお金とは何かということも伝えたかった」
 実は近年、忠臣蔵を扱う小説は数えるほどしか出ていない。君主への忠義を美徳とする物語は、現代にはそぐわないのか−。しかし執筆するうち「浪士たちの根底に流れるものが、実は戦後の日本の経済力を支えたんじゃないか」との考えに至った。「それは忠誠心というより、耐える力だね。耐えると決めたら、とことん耐える。そういう人たちがいるのが日本の国だと分かってもらいたい」
 執筆後の昨年一月、くも膜下出血で倒れたが、後遺症もなく回復。小説やエッセーの連載も順次再開させた。「たばこをやめ、お酒も十分の一に減らした。次の時代小説では誰を書こうかと考えています」
 エッセー『大人の流儀』シリーズをはじめ、力強い言葉の数々で読者を励ましてきた。コロナ禍の困難な時代にこそ、その言葉を求める人は多いはず。そう伝えると、期待通りの答えが返ってきた。「人類が感染症に敗れたことは一度たりともない。必ず最後は彼らを追いやり、元の生活に戻った。なぜかというと耐えたからです。耐えるという精神を皆で共有すること。大事なのはこれですね」
 KADOKAWA・各一八七〇円。 (樋口薫) 

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