悲劇と笑い 解釈巧み アトウッドさん新作を相次ぎ邦訳 鴻巣友季子さん(翻訳家)

2021年1月16日 13時10分

撮影・宇壽山貴久子

 ノーベル文学賞の有力候補と目されるカナダの作家マーガレット・アトウッドさんの二つの新作が昨秋、相次ぎ邦訳された。女性が虐げられる反理想郷(ディストピア)を描いた『誓願』(早川書房)と、シェイクスピア晩年の傑作『テンペスト』を現代コメディーに翻案した『獄中シェイクスピア劇団』(集英社)。対照的な両作の翻訳を手掛けた鴻巣友季子さんは「今なお最高傑作を更新し続けている果敢な作家」と評する。
 『誓願』はアトウッドさんの代表作『侍女の物語』の三十四年ぶりとなる続編で、一昨年、英国の世界的な文学賞「ブッカー賞」も受賞した。前作に続き、米国を前身とした家父長制全体主義国家「ギレアデ」が舞台。女性たちはあらゆる人権を剥奪され、読み書きすら許されない。生殖能力を有する一部の女性は「侍女」と呼ばれ、特権階級の男の所有物にされる。
 「一九八五年に前作が書かれた時は『リアリティーがない』と酷評も受けた。ところがその後、世界の方がどんどん似てきてしまった」。二〇一七年には米国でドラマ化。女性蔑視の発言を繰り返すトランプ政権の誕生と前後して原作がベストセラー入りし、「侍女」は女性の抑圧に対抗する象徴的存在ともなった。「これは私たちの物語であり、すぐそこに迫った危機であると、受け手の中で物語が書き換わっていった。それをアトウッドも感じ取り、かたくなに『書かない』としていた続編を書かざるを得なかったのだと思う」
 時代とともに語り口も変遷した。「前作は最下層にいる侍女の視点で書かれ、読者も一緒に暗い坑道の中を進むような閉塞(へいそく)感があった」。『誓願』では三人の異なる立場の女性たちの視点から、ギレアデ崩壊への道筋が描かれる。スリリングなエンタメ要素も満載だ。「決して幸福な話ではないが、シスターフッド(女性同士の絆)がしっかり描かれ、希望に向かって進む物語になっている。皆がのほほんとしている時には警告を発し、危機感の迫る時代には希望を描く。それが彼女の考えだと思う」
 作中、ギレアデは米連邦議会の襲撃に始まるクーデターにより建国する。今月六日、トランプ大統領支持者らによる議事堂襲撃事件のニュースを見た鴻巣さんは「完全に『侍女』の世界と同一化したと感じてしまった」という。アトウッド作品には、新型ウイルスの大流行する近未来を描いた『洪水の年』(〇九年)もある。「もうこれ以上、予言を的中させないでもらいたい」と苦笑いする。
 一方で『獄中シェイクスピア劇団』は、刑務所の更生プログラムとして企画された「テンペスト」上演を巡る、笑いあり、涙ありのコメディーだ。「アトウッド作品は題材がヘビーで、悲劇の人という印象があるが、実は本質はユーモアの作家。その真骨頂が発揮されている」
 獄中劇団を率いる主人公の老フェリックスが、舞台芸術監督の座を自分から奪った部下に復讐(ふくしゅう)する筋書きは「テンペスト」の本歌取りであり、さらに小説全体が優れたシェイクスピア論にもなっている。そんな離れ業に加え、作中では古語と刑務所内のスラング(俗語)が入り交じり、韻文はラップへと変貌して作中劇として演じられる。鴻巣さんはかつて「訳すのが難しいワースト5」として「詩、ジョーク、言葉遊び、皮肉、悪態」を挙げているが、この小説は「その五つを大鍋でぐつぐつ煮詰めたような作品。これまで訳した中で一番難しいものの一つだった」と振り返る。
 その難物をすらすらと楽しく読ませる翻訳の見事さに驚かされる。昨年は南ア出身のノーベル賞作家J・M・クッツェーさんの新刊から絵本まで、幅広い五冊の翻訳を刊行(共訳含む)し、小中学生向けに『ロミオとジュリエット』の翻案小説を新聞連載した。さらに国内小説の屈指の読み手として、評論の仕事でも引っ張りだこの人気ぶりだ。
 「私にとっては翻訳こそが最大の批評行為。原文の一行一行を深く読んで解釈し、それをプレゼンテーションしている感覚です。後々まで読み継がれるような強度のある作品を、今後も訳していきたい」 (樋口薫)

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