<ブルボン小林 月刊マンガホニャララ> (21)出会えないものに出会わせる
2021年1月18日 07時18分
ネットでなにかみると「これを好きなあなたには、これもオススメ」とか「これをみている人は、他にこんな動画をみてます」といった案内をしてもらえる。オススメの精度は間違いなく年々、上がっている。
それで気付けばユーチューブで「一九八〇年代の歌番組」ばかりみて過ごしてる。労なく楽しいが、自己愛を膨らませて暇をつぶすだけになってしまった。
自分が新聞(など公の場)で漫画を推薦するときは「それ」との闘いだ、と今は思っている。
大勢の趣味嗜好(しこう)を瞬時に分類、統計して絞り込む「プログラム」に対し「人力」の、重たいペダルを踏むときの滑稽な形相で、普通に生きていたらまるで出会わないはずのなにかと読者を出会わせたいのだ。
東村アキコという作家も、ネットの仕組みではないが、なにかと闘っている気がする。いつでも、漫画をただ手渡されたという気がしない。テーマや掲載媒体など、新作ごとに表現を拡張してきている。
最初に出会った彼女のギャグ漫画が面白すぎて、その後のシリアスな漫画などでも登場人物が次の瞬間にはギャグをいいそうで(勝手に)噴いてしまい、しばらく読めなかったのだが、やっと落ち着いて(東村さんでなく、僕が)読めるようになってきました。
『私のことを憶(おぼ)えていますか』は韓国と日本での同時連載作だ。
昨年、コロナ禍の我々(われわれ)の多くがネットフリックスの韓流ドラマに癒(いや)された。韓ドラといえば『冬ソナ』しか知らなかった僕もおおいにハマった。予算のかけ方やシナリオの練度も含め、和製ドラマとの勢いの差を感じさせられた。
漫画も、韓国人の作家が日本の漫画誌で活躍する例が増えてきた。ごく単純に、異国の勢いにぶつかろうという意欲を本作から感じる。
スマホで読む韓国の漫画はページをめくらない。縦にずっとスクロールさせて読む。たとえばホラー漫画では「ギャアアー」という叫びが、落雷のように縦長に配され、叫びの響きや余韻を表すことができる。
反面「見開き二ページ」で急にワイドに絵をみせる、従来の漫画ならではの技術は使えない。
本作はスマホでは縦スクロール、紙では横にめくる。コマやフキダシを配置しなおして(あるいは、後に紙にすることを考え)、どちらでも読めるよう手間をかけている。
幼いころの初恋を、くたびれた独身女性が燻(くす)ぶらせるという筋も、単純にして強い(世界で闘える)ネタを厳選してぶつけた感じがする。
でも、闘いの気持ちとも違って「韓国で、縦書きで、やったらどうなるだろう」と素朴に試行錯誤したくてやっているようにもみえる。つまりそれくらい作者は漫画に魅入られている、というか。
西村ツチカ『ちくまさん』は書店でもらえるPR雑誌の表紙とプラス一ページという不思議な連載漫画。アイソメトリックな、騙(だま)し絵のように描かれた世界で、アリの交通整理や、雨の最初の一滴をふらせる係など不思議な職業を描いていく。出来事や人物と同じくらい、その描線をみるのがとても愉(たの)しい。
で、なぜ東村作品の次に「これもオススメ」なのかというと「東」村ときたから「西」村。いや、どちらも漫画の挑戦がみられる二作です。
(ぶるぼん・こばやし=コラムニスト)
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