自助・共助・公助

2021年1月18日 07時29分
 菅義偉首相が、目指す社会像として掲げた「自助・共助・公助」。「自分でできることは、まず自分で」という自助重視の姿勢は、野党などから批判された。コロナ禍の中にある日本。誰が、誰を、どうやって助けるのがいいのか。本当に目指すべき社会とは。

<自助・共助・公助> 主に、被災時の対応という防災・減災の分野と、保険や年金など社会保障の分野で用いられる概念。昨年9月の自民党総裁選の時から菅義偉首相は「自助・共助・公助、そして絆」を政策理念として掲げた。事実上の自助重視の考え方で、同年10月の国会では立憲民主党の枝野幸男代表が「自助努力を迫る自己責任論が強まる中、追い込まれても頼ることをためらう風潮が広がっている」と批判した。

◆皆が参加する社会に 「こどもNPO」副理事長・山田恭平さん

 日本では大半の人が、誰かに頼らず自分で頑張らねばならない、と思い込んでしまっています。菅義偉首相が言う「自分でやれるところまで頑張って」を子どもや家庭はどう受け止めるでしょうか。学力・資金・人脈などの“資産”を持つ強い人たちは違和や痛みを感じないでしょう。でも私は、私たちが支援している子どもや家庭にそうはとても言えません。何の資産も持てず、頑張る素地が持てない人たちをさらに弱い立場に追い込んでしまうからです。
 子どもたちの絶望はより深刻です。学力の低い子どもは自分で進学先の選択さえできない。「ばかだから」「親が決めるから」などと言うんです。彼らは自分の人生を自分で決められるとは全く思っていない。地域や政治に参加できるなんて、これっぽちも考えません。
 実は、困窮度が高い人ほど人に頼りたくないという傾向が強い。一番初めに出会う大人である親からの仕打ち、教員や地域の人たちの冷たい対応などを体験しているから、社会に対する信頼感が低いのです。結果、手を差し伸べてくれる人たちをもはねのけて問題を起こしてしまうこともある。
 これは彼ら自身が問題なのではなくて、社会の構造的な問題が個人に流れ着いた結果です。家庭や地域の自助・共助が崩壊しつつある今、現実には公助に頼るほかない状況にある。さらに公助を求めたいが、それだけに頼るというのは難しい現状も横たわっています。
 私は最近、自助・共助・公助という区分が適切ではないと思うようになりました。民主主義の社会とは本来、個人が自ら生きていく中で他者と共に手を携え公的な仕組みをつくっていくこと。つまり市民の一員になることです。自助も共助も公助も各個人に内包されているべきであり、分けることは分断を生みかねない。
 では、どうすればいいか。自己責任論にならない環境をつくること、すべての人が参加できる社会をつくること。大事なのは、彼らが社会への信頼を取り戻し、そのうえで自分自身のあり方を自ら考え、社会に関わる力を身に付け、自分を助けるための自己選択ができる環境を共につくることです。そのために私たちは子どもや家庭の思いを受容し、社会を共につくる仲間として向き合い続けているのです。 (聞き手・大森雅弥)

<やまだ・きょうへい> 1989年、愛知県生まれ。2015年、子どもの社会参画推進に取り組む「こどもNPO」(名古屋市)に入り、19年から現職。生活困窮家庭の子どもの学習支援などを担当。

◆共助の土壌が育たず 関西大教授・坂本治也さん

 「自助・共助・公助」が政治で語られる時は、自助を強調する意味で使われます。自分の生活は自分で何とかしろというメッセージになり、公助を強める意味では使われません。
 国際的な比較では、日本は税金も低いとはいえ、社会保障などの公的サービスは貧弱です。障害や失業など本人の責任でない原因で貧困に陥っている人も多くいますが、そういう人たちに自己責任を押しつけるのは、公平ではないと思います。
 もし菅義偉首相に直接質問ができるのなら、日本人は現状では公助に頼りすぎで怠けているという認識を持っているのか、日本の公助をさらに弱くしたいのか、と尋ねたいです。
 世界的にみても、財界の支援を受ける保守政党は小さな政府を望みます。自助を強調し、公助の領域を狭めようとします。菅首相の考えは、自民党の伝統的な考え方と言えます。
 欧州では、左派政党が資本主義の下での福祉政策充実を掲げ、政権交代で公助を広げる政策転換が行われてきました。しかし日本では、一時の民主党政権を除けば、左派への政権交代が起きてきませんでした。
 国際比較のデータでは、失業者の救済を政府の責任と考える人の割合は、日本は欧米などと比べ低水準という結果もあります。でも、日本人の自助意識が強いから自民党政治が続いたわけではなく、それに代わる魅力的な選択肢が国民に示されなかったからです。その点では、自民党だけではなく、野党にも問題があります。
 自民党は、公助だけではなく、共助も強めてきませんでした。自らの集票マシンとなる自治会や商店街は保護する一方、市民による自発的な団体は敵視してきたと言えます。多くの国民も「市民団体=左派的」とみなしがちで、共助を避けてしまいました。今でも多くの日本人が思いつく共助といえば、自治会とPTA、マンションの管理組合しかありません。共助の土壌も十分育っていないのです。
 新型コロナウイルスの感染拡大が長引けば、貧しい人たちはより仕事に追われて投票に行かなくなり、公助を求める声が弱くなりかねません。政治を変えるには投票したいと思わせる政策が示されることが必要です。野党は憲法や政権の不祥事ではなく、生活に直結するお金やサービスの問題をもっと強調すべきです。 (聞き手・関口克己)

<さかもと・はるや> 1977年、兵庫県生まれ。関西大で法学部教授や経済・政治研究所の自助・共助研究班主幹を務める。専門は政治過程論、市民社会論。日本NPO学会副会長。

◆生活保護の拡充が必要 経済評論家・勝間和代さん

 「自助」という言葉は、誤解されている面があります。自助は、一人で生きていくという意味ではありません。そもそも、たった一人で生きていける人は、誰一人いません。
 しっかりした仕事を持って、自立した生活を送る。でも、必要なときは市場や家族、地域社会から少し助けてもらう。あるいは助け合う。それが私の考える自助のイメージです。
 市場と助け合うとは、働いてお金をもらい、そのお金を使って例えば買い物をするということです。初めから家族や社会に頼り切ってしまうと、服従の関係が生まれてしまうので、生き方として危険です。
 公助は社会のセーフティーネットです。ところが、その責任者である政府が「自助」と言いだしてしまった。菅義偉首相の発言は責任転嫁と受け取られても仕方がありません。菅首相は「たたき上げ」の人ですから、自分にできたことは皆できると信じているのでしょう。自助努力をしない人に対し、いら立っているのかもしれません。
 しかし、人間は本来、そんなに人に頼りたいとは思っていないはずです。きちんとした環境さえ整っていれば、自助の方が望ましいと考えている人が多いのではないでしょうか。環境整備が不十分だから、共助や公助が必要になるわけです。
 公助に関しては、生活保護の受給割合の低さが問題視されてきました。受給できる、受給すべきなのにしない。なぜかというと、世の中に「生活保護はずるい」という見方があるからです。世間の誤解を解くため、政府には生活保護受給促進キャンペーンをしてほしい。生活保護を受けた人は、お金を有効に使ってくれます。経済対策としても効果があります。
 コロナ禍の今、自殺者が急増しています。特に女性の自殺が目立ちます。自殺の原因の一つは経済的困窮です。コロナ対策でいろいろな補助制度ができていますが、その前になぜ、生活保護を拡充しないのか。大きな疑問を感じます。
 生活保護が使いにくい制度なら、ベーシックインカムの導入を検討すべきです。それは、自助の一つの手段になります。一定の収入を誰もが得ることによって、経済的苦難を乗り越えることができます。その先に、自立した自分らしい生き方への道が開けるでしょう。
 (聞き手・越智俊至)

<かつま・かずよ> 1968年、東京都生まれ。外資系コンサルティング会社などを経て2007年に独立。中央大ビジネススクール客員教授。近著に『自由もお金も手に入る!勝間式超スローライフ』。


関連キーワード


おすすめ情報