過酷な被ばく…今も 事故収束作業10年<東電福島第一原発ルポ>

2021年1月19日 06時00分
 太平洋沿いにある東京電力福島第一原発(福島県大熊町、双葉町)は、2011年3月11日に起きた巨大地震と大津波により、世界最悪レベルの事故につながった。あの日からもうすぐ10年、事故収束作業が続く原発構内に18日、入った。新型コロナウイルス禍で作業員の感染が相次ぐ中、事前にPCR検査で陰性を確認した上での取材となった。(小野沢健太)

海側敷地で、ピット(堀)を埋める作業員たち=1月18日、福島県大熊町の東京電力福島第一原発で(山川剛史撮影)

◆がれき消えるも 依然高い放射線量

 高濃度の放射性物質を含む汚染水問題で現場が混乱していた13年以来、8年ぶりの原発構内。当時は防護服と顔全体を覆うマスクが必須で、原子炉建屋周辺には津波で流された自動車などが残り、がれきも散在していた。放射線量は海側敷地で毎時1080マイクロシーベルトと、そこに1時間いるだけで一般人の年間被ばく線量に達する水準だった。

水漏れのリスクが高いボルト締め型タンクを解体する作業員たち。タンクは傷みが目立った=18日、福島県大熊町の東京電力福島第一原発で(山川剛史撮影)

 ところが今回は、普通のマスクとゴーグルという身軽な装備。がれきはすっかり片付けられ、最も高線量だった2、3号機の間も毎時150マイクロシーベルトと大きく下がっていた。
 ただし、その値は放射能で汚染されていない場所の約3000倍。そんな中で多くの作業員が働いている。ここで3、4日働けば一般人の年間被ばく限度(1ミリシーベルト)に達する。労働環境の過酷さは変わっていない。

◆ひしめくタンク、よぎる8年前の光景

 汚染水を浄化処理後の水をためたタンクがひしめく一角では、対策の要だったボルト締め型タンクがさびつき、解体が進んでいた。8年前、タンクを見上げた時の光景が頭によぎる。

水素爆発のすさまじさを物語る3号機原子炉建屋の崩落部。厚いコンクリート壁が崩れ、鉄筋がむき出しになっていた=福島県大熊町の東京電力福島第一原発で(山川剛史撮影)

 当時、東電は日々増える汚染水の保管先を何とか確保しようと、工期が短いボルト締め型タンクを次々と造った。しかし、タンクからの水漏れ事故の発生で、耐久性のある溶接型タンクに置き換えざるを得なくなった。今では、タンク周囲に外部への水漏れを防ぐ堰も二重に設けられていた。
 残り少なくなったボルト締め型タンクの手すりに命綱をかけ、作業員が「ドドドド」と大きな音を響かせて1基で1400個もあるボルトを外す。東電の甘い見通しで、現場の人たちが無用な被ばくを強いられる現実が目の前にあった。

◆21年夏にはタンクの容量が不足

 構内のタンクは22年夏には容量が足りなくなるという。政府は、処理水に海水を混ぜて海に放出処分することを検討しているが、漁業者を中心に風評被害を懸念する声が強い。菅義偉首相は「適切な時期に責任を持って決める」としているが、出口は見えない。

敷地内には、汚染水を処理した水をためるタンクがひしめく。写真の上部左から1、2、3、4号機の建屋=福島県大熊町の東京電力福島第一原発で(山川剛史撮影)

 今回は構内を5時間取材し、記者の被ばく量は約50マイクロシーベルト。8年前は4時間半で99マイクロシーベルトだった。

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