被災伝え続ける「紙碑」 句集『泥天使』で「震災三部作」 照井翠(みどり)さん(俳人)

2021年1月23日 13時55分
 東日本大震災で巨大津波に襲われた岩手県釜石市から、句集『龍宮(りゅうぐう)』(二〇一二年)で被災の実相を表した俳人の照井翠(みどり)さん(58)が、約八年ぶりの句集『泥天使』(コールサック社)を刊行した。震災十年の節目に向けて、復興の希望を胸に歩んだ日々に、自らの「総決算」を期して紡いだ鎮魂の句集だ。
 「『龍宮』は震災後の生々しさを詠んでいる句集なので、かなり厳しい現実も詠み込みました。『泥天使』は、被災地で生きる人の割り切れなさや生きづらさ、揺れ動く思いを、一句一句に魂を込めて結実させることができたと思います」。照井さんの晴れやかな声が受話器から届く。
 <喪へばうしなふほどに降る雪よ><春の星こんなに人が死んだのか>など二百を超える震災句を収めた『龍宮』は今月、文庫新装版で復刻した。一九年三月には、被災地の暮らしをつづったエッセー集『釜石の風』を出している(いずれもコールサック社)。「震災三部作の完成」と位置付ける『泥天使』は、震災と日常、コロナ禍までを詠んだ四百句余りを厳選した。
海嘯(かいせう)の弧を保ちつつ陸呑(くがの)みぬ
 津波にまちがのみこまれたあの日。国語教諭の照井さんは、勤務先の県立釜石高校の体育館で生徒らと一夜を明かした。そのまま避難所生活は約一カ月に及ぶ。
三・一一死者に添ひ伏す泥天使
三月の君は何処(どこ)にもゐないがゐる
花冷(はなびえ)や諍(いさか)ひしまま逝かしむる
 津波といえば押し寄せる大波のイメージだが、照井さんの見方は異なる。まちは津波が運んだ泥に覆われ、「津波の本質は『泥』だと思う」。句集のタイトルは、「津波の泥が付いても、天使は亡くなった方たちに優しく寄り添ってくれたであろう」との思いを込めた句から取った。
生き死にの釜石の川鮭上る
震災五年時は薬よ毒入りの
 底にがれきが残る川を遡上(そじょう)するサケに希望を見いだしたこともあれば、時間の経過で少しずつ癒やされてきた人々の心が、余震や行方不明者の身元照会といった出来事で、震災当時の緊張感に引き戻されるようなこともあった。「震災の爪痕はかなり深く鋭くて、そう簡単にわたしたちを解放してくれなかったですね」
 二十代で句作を始め、加藤楸邨(一九〇五〜九三年)に師事。自らにとって俳句は「最も身近な自己表現の手段」だった。避難所生活が半月ほどたったころから、ぼんやりと考え始めた。「楸邨先生は俳句で戦争や戦争からの復興に向き合ってこられた。わたしは震災に向き合っていこう」
 転勤のため一七年春、北上市に移ってからも、震災後に始めた句会指導でほぼ二カ月に一度、釜石市に通っている。七十代が多い会員らの句は、前向きに日常を取り戻しているものがほとんどで、「心もかなり落ち着いてきた」とみる。
 一方で、自らにはいまだ乗り越えられない壁もある。震災の日、夕方に髪を切りに行く予約をしていた。震災後、美容室へ行こうとすると、また大地震が来るような気がして予約できない。だから、ずっと自分で切っているという。
三月を喪ひつづく砂時計
海嘯(かいしょう)の万のマフラー巻去りぬ
三・一一みちのく今も穢土(えど)辺土
千年も要さぬ風化春の海
死なば泥三月十日十一日
戦災も震災も人ひとりにす
降りつづくこのしら雪も泥なりき
 震災句の終盤は、畳み掛けるように迫ってくる。きっと、照井さんのこんな思いが反映されているからに違いない。<震災であれ戦争であれ、鎮魂の思いを詠む際に前提となるのは、そこにある厳しい現実を直視するということだろう>(『釜石の風』より)。
 風化について問うと、「その日のためにこそ、この句集を作ろうと思いましたね」と即座に答えが返ってきた。「わたしは今回、紙碑を建てたつもりなんです。この先、たとえ風化が進んだとしても、この句集をひもとけばあの震災がどんなものだったか感じてもらえるんじゃないか。そう思っているんです」 (北爪三記)

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