銀座で托鉢 震災犠牲者を弔い続けた僧侶 新型コロナで突然の死 <あの日から・東日本大震災10年>

2021年1月23日 23時18分
 東京・銀座で托鉢たくはつを続け、東日本大震災の被災地で死者を弔い続けた一人の僧侶が、新型コロナウイルス感染症で亡くなった。66歳。「まだ、どこからか現れそうだけど―」。その精力的に動く姿を知る人は、突然の死に衝撃を受けている。

2012年3月11日本紙朝刊1面に掲載された写真。望月崇英さんは仙台市の海岸で波に向かって祈っていた=同年3月4日撮影

◆月に1度は被災地で

望月崇英さんが立っていた銀座・和光本館前に供えられた花束

 銀座・和光本館前の地下鉄出入り口の外壁。「この場所に立ち続けたとても優しく、美しい人 僧侶崇英しゅうえい 2021年1月18日永眠」と紙に記されている。その下には花束。亡くなった望月崇英さん=世田谷区=はここで托鉢を続けた。
 「銀座に立って半年ほどで東日本大震災。しばらくは毎週、被災地で弔いをしていた。最近も月1回は訪ねていた」。友人の白井ただしさん(73)=同区=は振り返る。仙台市の海岸で祈る姿は、震災から1年の12年3月11日の東京新聞1面に掲載された。

◆根津甚八さんと釣り仲間

 変化に富む生涯だった。都内の私立高を卒業、ミュージシャンを目指しニューヨークへ。夢かなわず、日本人歌手のレコーディング場所を探したり、日本向けに古着を買い付けたりと約20年、米国で暮らした。
 帰国後は、バイク冒険家の風間深志しんじさん(70)=東京都小平市=の助手として、南極大陸でのベースキャンプ設営やパリ・ダカール・ラリーを経験。その後、アルバイト先の古着店で知り合った僧侶に促されて高野山で修行、僧籍を得た。

昨年秋、冒険家の風間深志さん(左)と友人の白井糺さん(右)と写真に収まった望月崇英さん(中)

 風間さんは「僧侶になると聞いた時は驚いた。人の苦しみを救い、生きがいのある生活を目指したのだろう」と話す。托鉢僧として生きる決意だった。
 高校時代から一緒に銀座のディスコで遊んだという友人・高田顕治さん(67)=豊島区=は「托鉢をするなら、昔なじみの銀座の真ん中、和光前と彼は決めた」と明かす。朝、高田さんの焼き鳥店で配達弁当を作った後、正午から4時間、般若心経を唱えた。夏は足袋まで汗でぬらし、冬は使い捨てカイロを何枚も貼って耐えた。その場で悩みごとの相談にも応じた。
 一人暮らしで、山登りや釣りが好き。16年に亡くなった俳優根津甚八さんとも釣り仲間だったという。

◆「苦しい…」異変を告げるメール

都心の繁華街の一角で托鉢を続ける崇英さん=2012年3月21日、東京都中央区で

 最後の托鉢は昨年12月26日。「何回か来てくれているおばあさんが、財布から小銭をざらざらと鉢に入れてくれた。続けて1万円札を5枚。財布を空にして、にこにこしている。お金以上に、救われることに巡り合ったんだね」。翌日、こう話した姿を高田さんは覚えている。
 29日、最後に高田さんが会った時、望月さんはせきをしていたが、互いに気に留めなかった。ところが30日に「苦しくてしょうがない。救急車を呼ぶ」とメールがあり、病院で新型コロナの陽性を確認。それでも点滴を受けて体調が戻り、帰宅した。
 しかし元旦に再び「救急車を呼ぶ」とメールがあってから連絡が途絶えた。「持病もないし、なんとかなるだろう」と楽観視していた高田さんに、望月さんの親族から訃報が届いたのは、亡くなった直後、18日夕だった。

崇英さんの永眠を知らせる張り紙=東京都中央区で

 「死は本当に近いところにあると、彼に教えられた」。高田さんは長年の友の死を惜しむ。その一心に祈る姿は、銀座でも、被災地でも、もう見られない。(梅野光春)

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