車頼みの生活、体が動かなくなったら…不安抱えながらも故郷へ 東京から南相馬に戻った木幡さん夫婦

2021年1月25日 06時00分

自宅前でたたずむ木幡堯男さん(左)、孝子さん夫妻。季節の移ろいは、東京にいたころより身近に感じられるという=福島県南相馬市小高区で

<あの日から・福島原発事故10年>
 母屋裏手の杉やケヤキは秋になると、家の周りに落ち葉を積もらせる。掃き掃除が欠かせない。
 「この秋は5回ぐらい燃やした。大変なのよ」
 木幡堯男こはたたかおさん(83)と妻孝子さん(79)が、長く避難生活を送った東京・東雲しののめの団地から故郷の福島県南相馬市小高おだか区の自宅に戻り、もうすぐ2年。季節の移ろいは、東京での35階の部屋では遠く感じたが今は、すぐそばにある。
 東日本大震災前は自給自足の生活を送っていたが、コメも野菜も作らなくなった。玄関前に広がる7000平方メートルの畑は、ブロッコリーを栽培する会社に貸している。田んぼには、太陽光発電のパネルを設置した。

◆地区100軒で戻った住民は3分の1

 小高区は、東京電力福島第一原発事故で全住民の避難を強いられた。避難指示解除から5年。木幡さん夫妻が住む地区は震災前、3世代で住む家も多かったが約100軒のうち住民が戻ったのは3分の1。それも高齢者が夫婦か、1人でだ。

JR常磐線小高駅の駅前通り沿いは建物が解体され、更地が目立つ=福島県南相馬市小高区で

 南相馬市は沿岸部が津波で甚大な被害を受け、南側の小高区と原町区の一部の住民は東京電力福島第一原発事故による避難まで強いられた。避難指示解除後に戻った住民は高齢者が多く、車に頼る生活。体が動かなくなったらどうしたら…。不安と隣り合わせの日々を送る。
 JR常磐線の小高駅前は人通りがまばらだった。建物の解体も進み、あちこちに更地が目立つ。医療機関だった建物には「売物件」の看板が掲げられていた。
 不便な町になぜ戻ったのか。避難先の東京から2019年1月末に小高に帰ってきた木幡堯男さんは「帰りたい気持ちはうまく表現できない。生まれ育ったところに戻る習性があるのかも」と複雑な胸中を明かす。
 堯男さんと孝子さんの2人は、週1回、15キロ離れた原町区の中心部へ車を走らせる。日用品の買い出しだ。小高区には今は、小さなスーパーとコンビニしかない。
 東京都江東区の国家公務員宿舎「東雲住宅」で避難生活をした8年間は、買い物も便利だった。東京に住む3人の子どもや孫とも気軽に会えた。

◆表向きは以前の生活に戻ったようでも…

 新型コロナウイルス禍もあり、昨年はほとんど子や孫に会えなかった。「表では前の生活に戻ったような感じがすっけども。みんな見えないけど悩み持ってんだよ」。堯男さんはぽつりとつぶやいた。

車を運転して小高の中心部に来た木幡堯男さん(左)と佐々木清明さん、堯男さんの妻孝子さん=福島県南相馬市小高区で

 1人になったら、体が動かなくなったら、ここで暮らせるのだろうか。木幡さん夫妻は時折、不安になる。最後は施設か、と思っているが「切羽詰まったことを私は考えないほうで、直面した時に慌てるたちなのよ」と堯男さんは静かに笑う。
 堯男さん宅から山側に3キロ、一人暮らしをする佐々木清明さん(95)は木幡さん夫妻と昔からの知り合いだ。代々受け継ぐ山林の木材を売り、養蚕や稲作をして生きてきた。自宅裏には大切にしてきた樹齢400年の杉が立つ。
 震災前、同居していた長男夫妻は、家の隣で花の卸販売を手掛けていた。今は栃木県那須町に拠点を移し事業を拡大させた。「マイナスばっかりも言えん。向こうは都会からいっぱい観光客がくっから」

自宅でくつろぐ木幡堯男さん(左)、孝子さん夫妻。庭の向こうには今は貸している畑が広がる

 佐々木さんは運転免許を返上し、愛車の電動アシスト自転車で、小高区中心部に散髪に行く。足腰は元気なものの「毎日、家の中でもの探すだ。なんか使って置いたら場所分かんねんだ」。買い物はヘルパーにお願いする。堯男さんら近隣の人が気に掛けて訪ねてくる。
 「お客は結構あるから寂しくはねえべさ」。でも、家族や地域がバラバラになった悔しさは忘れない。
 近い将来への不安を抱えながら、自力で動ける人が故郷に戻っている。
 「農業一つとっても、再開したとしても後継者がいない。小高をどんな町にしたいか、行政もビジョンが明確じゃない」と、小高区行政区長連合会の林勝典会長(73)。5年後、10年後の町はどうなっているのか。住民たちも分からないままだ。 (神谷円香、写真も)

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